おじさん「すべからず」に弱い。子供の頃から鍵っ子として育ったので、一人で判断しながら生活していた。大人から教えられた「すべからず」を守らないと事故・怪我するので、自然に守っていた。
近所のおばあさんが 夕方4時過ぎに来て、食事を作ってくれていた。学校から帰れば置手紙をして、近所の上級生・同級生などと公園で遊び、5時がくれば「夕焼け小焼け」の放送とともに帰った。塩田労働者の町なので遊ぶ子供はほとんどが「鍵を掛けない家の 鍵っ子」であった。
5時半には食事をして、その後 風呂焚きをする。親は7時過ぎに帰ってくる。そんな生活を送っているので毎日が規則正しく過ぎていく。
風呂焚きは 小学校4年生の頃にガスに変わったが、それまでは木を割って薪を作り、落ち葉である松葉と古新聞で種火を付け、焚きつけるのが日課であった。小さい頃は ばあさんを手伝って、その後ばあさんに見守られるなかで作業をするのだが、小学校1年の頃ばあさんが亡くなったので・・・その後は一人でしていた。先の近所のおばあさんが空いた時間に覗きに来るが、ほとんど一人であった。
幼いながらも 火の怖さが分かるので、「すべからず」と言うことは守ると決めていた。
噺は先週末に代わるが 孫が帰省してマッチを持ったこともなく、見たことも無かったようである。もちろん火をつけたこともないので、仏壇の前で ばあ様から渡されどうするのと迷っていた。そこで 奥さんと子供はマッチの擦り方を教えていた。何度擦っても付かないようで・・爺が見本をと擦って見せ・・その後 上手く擦れ着火した。
着火直後アチチとなりマッチ売りの少女の擦ったマッチの如く、直ぐに熱く持てないことを体験したようで、何よりである。童話と現実・体験が理解できる最初となったようで、良かった。
子供の家もおじさんの家も台所は電化されているので、熱さを感じることも多くない。益々 ライブに体験することが大事だと思えた。
そして やってはいけないことと、出来ないことを体験しておくべきと思った。そして なぜ「すべからず」とされのか?訳を知っておくべきだとも思った。
後悔すべからず
子供の頃から「覆水盆に返らず」と教えられ、一度判断したことあるいは決めたことは余程のことがないい限り曲げられないと教えられた。ましてや人同士の約束は、それが原因でトラブルがない限りは破れない。おじさん子供の頃から「お天道様が見てる」と教えられた。「誰も見ていないじゃなくて、お前が見てるだろ」とまで言われた。
日本人的感覚からすれば当然のことであるが中国・朝鮮では変わるらしい。力関係などで 一方が力を持てば変わるのが常識のようで・・ヨーロッパ・アメリカもそんな傾向はあるが・・お互いが覚悟して 変わらないとしなければ、まとまるものもまとまらなくなる。何時までもぐちぐちと納める覚悟のない人々である。一度した約束を破った韓国がキッチリ頭を下げて詫びる迄 何もしないで良いと思う。たまに同情的に 被害者と称する方が経済的に可哀そうというのは、約束した韓国政府が保護しないで無策だからである。主たる原因の95%以上は韓国政府にある。ヤクザのような因縁の付け方である。
おじさんの父はシベリア抑留されたが・・メッキの金杯で無理やり納得していた。誰もが100%満足な結果は得られなくても・・ベストを尽くした結果を受け入れるしかないのも、人生のように思う。「盗人にも三分の理」と言うが 世の中理不尽なことには事欠かない。
いつもながらの朝日新聞の「おためごかし」が書いている。見て即 バカというか、子供にも劣るとしか思えない。「豆腐の角に頭でもぶつけとけ」と思う。