家に侵入した猫の親子は その後姿を見ない。現在4匹の子猫を連れた野良猫が我が家の近所の草むらで見かける。土建屋さんの古い型枠を置いているのだが、最近は使わないのか?放置され草が覆い、猫の住みかと化しているようである。

野良猫で4匹の元気な子猫も珍しい。余程 食糧事情が良いのかと想像していた。すると昨日近所の方から「エサ」を与えている人間がいると教えられた。通常は多く生まれても 親自体の食料事情が悪く、生まれた直後に多く死んでしまう。一匹ほどは何とか育ち始めるが、自然の中で順調に育つことはまれである。カラス等に襲われたり、交通事故などにてほとんどはダメになる。自然淘汰の厳しさである。

ところが人間の手が入ると急激に変わる。食べるのに困らなくなれば親猫の健康状態からして良くなり、エサを求め徘徊しなくても定期的に食べ物が入ってくる。従ってより多くの子猫を生むことになり、順調に子猫は育ち繁殖して行く。

猫にエサをやることの意味を考えるべきではないかと思う。

野良猫の愛護に対して 避妊とエサ遣りと言うスタンスを取る愛護団体とタダの愛猫家の落差のような気がする。真の動物保護はどちらであろうかと考えざるを得ない。

エサ遣り

わが家の天井からは猫の侵入防止が功をそうしたらしく、天井からの物音はなくなった。先日の侵入した猫に似たのは、自治会館近所の家の庭で目撃した。子猫は同伴しているのかまでは分からない。

先程の家の駐車場の一角には猫のエサが撒かれていた。自治会に入っていない方であり、以前から庭木が道路へ被さり 市役所と3者協議の結果何とか道路境界上での伐採を市が実施したなどの経緯もある。今度は猫でトラブルを起こさないでくれ!と祈るような気持ちである。この家の住民がエサ遣りの中心と 気付いてしまった。

撒かれたエサを見ているとコンクリート床にそのままなので・・近所の方が見れば良く思わないのが当然だな?と思ってしまう。与える容器もカップ麺の容器であり、前のエサの残りなのか空容器が転がっている。風でカップ麺の容器が飛んだのかもしれない。こぼれたエサも床に撒かれた後、雨に打たれたのか固まっているようである。

夕方その前を通るとブロック塀にカラスが止まっていた。ひょっとしたらカラスのエサにもなっているのか?と思われる。住人は気付いているのかな?

明日は不燃ごみの収集日前日のため、近所の方とも会うので とりあえず情報収集である。ちょうど一軒離れブロックがつながっている方が当番なのが都合良い。また子供を見ても子猫が逃げないところを見ると、子供は触りに行っているようである。

投稿者

おじさん

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