現在 ばあ様の行っていたデイサービスが休止、かつ再開の見通しが立っていない。ばあ様が行った同じ日に、来ていた方が濃厚接触者として検査され、陽性が判明した。その時点で ばあ様はその方と接触してから3日と分かった。デイサービスより連絡があり、ばあ様を検査に連れていき、受診させた結果は陰性であった。4日目の昼 抗原検査され、発病への経過時間は過ぎているので問題ないと思っていた。しかしその翌日 同様に抗原検査で陰性であった方が発病したので、注意されたいとの連絡があると同時に、スタッフも感染者が出たとのことであった。それ故 デイサービスセンターの再開見通しが立たなくなったようである。
なお ばあ様週末まで心配していたが、トータルで10日ほど何ともないので、安心しているようである。
近所
近所でも罹患された方が出たようである。自治会長に家族が罹患したとの連絡が入り、予定していた打ち合わせなどを遠慮された。その後悪化したとの情報もない所から、軽症状態で日を経れば大丈夫だろうと役員会で話している。
また 現在年度末と言うこともあり、自治会の総会を予定していたが中止とした。今年度も行事欄が埋まらないというか未確定部分が多い。コロナウイルスが変異して行き、コロナウイルスが感染し易い状況を作っていくのだから仕方がない。コロナウイルスの生き残りを懸けた変化であり、軽症化と感染性向上を目指しているので仕方がない。
閑話休題
ケ・セラ・セラ おじさんの大好きな言葉である。子供の頃から「しゃーない」と思いつつ「なんとかなるさ」とこの年まで来たように思う。アホには生きて来たが、何もなかったことはない・・当然あっても それなりに過ごして来た。
今回も毎度の如く ケ・セラ・セラ
ケ・セラ・セラ(西: Que Será, Será)とは、一般に「なるようになる」と和訳される言い回しです。「物事は勝手にうまい具合に進むもの」「だからあれこれと気を揉んでも仕方がない」「成り行きに任せてしまうのがよい」という意味合い・含蓄のある言い回しと解釈されます。
レットイットビーに似ているが、自分の意識が他動的であるか能動的であるかによると思う。そういえば「亡き母メアリーが言った」(マザー メアリー セイ・・だったか?)が歌詞に会ったことを思い出す。これも聖母マリアに掛けているのだろうと、若い頃 思っていたことも思い出す。
「ケ・セラ・セラ」 元々は映画の主題歌のタイトルです。映画と主題歌が世界的に有名になったことで、「ケ・セラ・セラ」という言葉も広く知られるようになり、やがて慣用句の一種のように見なされるようになった経緯があります。
ケ・セラ・セラ(Que Será, Será)はスペイン語の語彙を用いて表現されていますが、元々スペイン語圏ではこのような言い回しはないようで、「ケ・セラ・セラ」は曲のタイトルとして考案されたようです。