今回 チェチェンのウクライナ紛争参加を見ていると、コサック・タタールVSチェチェンとなることに気付いた。中央アジアの騎馬兵士の伝統的戦いとなる。もともとの宗派がキリスト教かイスラムかということもある。
革命後 ロシア南部チェチェンで石油の発見により、ロシアが覇権を及ぼしていった際、手先・先兵になったのがコサックの一部クリミアタタールであった。
ロシアは支配地域の民族同士を戦わせ、お互いを疲弊させ支配してきた。現在のチェチェンはロシアその他からの流入で混血化が進み、キリスト教系ロシア人となっていると見込まれる。中国ウイグル族の漢族化あるいは混血化も同じような流れとなっている。
事件や出来事は、必ず過去・歴史に裏付けられて起こる。歴史的背景を見ることができる=歴史的に考えることが人類を俯瞰的に見る初めかもしれません。
言い換えれば 普段の考え方を変える方法・要素がここにある。
対決
歴史の流れを考えると、ユーラシア中央の平原で覇を争った騎馬民族の歴史を感じる。また一面宗教対立の様相も感じる。
ウクライナとロシアでは ロシア正教の対立と言ってもいいような気がする。
ヨーロッパではローマ帝国とキリスト教から端を発する対立に驚かされる。加えて今回はゼレンスキー大統領を知り、ユダヤ人と言う流浪の民が聖典タムルードのもとアイデンティティーを繋いできたことに驚かされる。
ユーラシア中央の平原の東端での中国の王朝の推移を見ていると、支配構造に差異があることなど、見れば見るほど面白い歴史が広がる。今回のウクライナでの紛争 改めて歴史は多元的構造であることを教えられた。
これで人の死がなければよいのだが、人類はそれほど進化した存在ではない。
流れ
世界史を見ていると感じることも、日本史を見ていて感じることも同じ様なものかと思えます。またおじさん田舎住まいなので、学校・会社・自治会などで周囲の方々を見ていると、歴史的にと言うかファミリーヒストリー的に行動するものだと思うことがある。
田舎では 何代か代を重ねながらも、地域社会に貢献している家などを見ることが出来ます。神社の玉垣、拝殿の礎石その他に名前が刻まれ、また父・ばあ様より聞いていたことから、過去からの概略が判る。そうした中で祭礼の準備などを手伝うと聞き覚えのある名前が出て来る。確認すると「そうだったか」と納得できることが多い。PTAあるいは子供会なども同様である。
おじさん家(ち)は 現在住む場所に引っ越して来て、おじさんで4代目となる。初代は先祖伝来の家・土地など一切を売り払い、台湾に渡り事業に失敗して無一文となっている。その後 ひい爺さん 今も墓土地だけ残る元の田舎に帰れず、現在住んでいる集落に借家を借りて再スタートした。ひい爺さんの代に借家から、現在住んでる近所の家を購入した。しかし購入した家が、台風による洪水で浸水した。その後 被害が及ばぬように、父が現在住んでいる場所に土地を買い、家を建てた。その後おじさんが家を建て替え今日に至る。
神社に残る玉垣等の名前は父からとなり、爺さん・ひい爺さんの名前は残っていない。やはり江戸っ子の定義同様 3代続かないと地元に土着できないと思われる。
子供の一人が土地を買いたいと聞かれた時、選定基準でハザードマップなどで確認することを伝えると同時に「最終的には 代を重ねないと分からない」と伝えた。何事も時の流れを必要とする。