人生においては 全てがベストな時に打順が回ってバッタボックスに立てることはほとんどない。自身の体験上もそんな機会に恵まれることはなかった。従って中途半端に対応し、中途半端な結果が大半で、何とか出来たかなと思ったことは1度くらいと・・逆に準備してたのに、チャウ!と思うこともあるなど、実力を発揮できたあるいは満足したことは数えるほどしかない。この歳が来ると何度もあったことなので、原因を他に持ってもいけない。
半ば麻雀の切った牌(はい)をまた自模った、目標・当てにしていたのと違う事が多発するのと同じである。見込みと運はなかなか一致しない。
おじさん「人事を尽くして 天命を待つ」では足りない様に思う。
普段から時間があれば勉強し、またその方向性、深さなども時代に合わせて考えることである。しかし 声が掛かった際に 喜び勇んでバッターボックスに立つためには、普段から素振りを繰り返しバットを振る技術を磨くと同時に、立った時の心を決める技術を持たないといけないと思う。
そして巧打した時あるいは凡打した時のことも、想像・反省などを少し考えれば良いと思う。なお この凡打後に考えてる時間は、考えが落ち込み易いので短時間であることをお勧めする。先ずはルンルンに生きることを楽しむのを優先する。人生は短い!
確率
麻雀でも 何とか確率を上げ、聴牌(てんぱい)が早くなるようにと、工夫・努力はする。ところがである、そこに役満に行けそうだとの自摸がくる・・先の○○捨てなければ・・などと心の中に兼好法師の徒然草序の段「こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなくかきつくれば、・・」の言葉が頭をよぎるシーンである。
色気を出さず、堅実に!いや勝負どころと心がはやり、注意が緩慢となり・・「ロン」のお声を頂く。ピンフ・ドラドラと 簡単に親の連荘(れんちゃん)を逃す。
人生で確率を上げる戦術・戦略は当然実行する。しかしそれだけでは上手くいかないことも多い。麻雀なら 振り込まない様にと技術上のことを覚え、考え実行しても、振り込むときは振り込み負ける。会話の端々(はしばし)、相手の表情・しぐさなど交渉相手などに注意をし、何気な会話の中で相手の手の内を想像していく。人を見る技術は・・一筋縄では手に入らない。普段の社会なども同じようなものである。
そんな経験をしていくと 次第に感覚的なこと、まさに「勘ピューター」が大事と分かる。理論と研究で大まかな方向性は確保・確認できるがそれだけでは決断が付かない。決断までも論理・理性的に出来れば迷うことはないが、人的要素が多く絡む商売・営業などはどうしても判断しきれず迷う。しかし迷っても結論は出さないといけないのが通例である。忙しい世の中で ズルズルと引きづることは難しい。こんな迷いを断ち切らないと生活していけない。決断する力を鍛えないといけないし、出た結果を受忍する力を持たないといけない。
経験上の話ですが、出る結果を予想して 被害が出ても自身が耐えられる金額であったり、自身が納得・許すことが出来る範囲であれば、即断できると思う。従って自身の成長に合わせて訓練し作っていければそれでよいと思っている。おじさんは結果から逆算的に考え、よく決断してきたように思う。人により考え方は違うので、これで良いとは思わない。おじさん流である。
現在の景気の行方が不安視されている投資などで、レバレッジを掛けすぎていれば考え直せば良いいと思う。色々その道のプロ・セミプロが解説している。保持するのも、手仕舞いするもよしと 本人の判断で良いと思う。時が過ぎれば体感し、判り さて次は・・となることである。一か八かでなければ良い。
後悔しない
人間後悔しないことは先ずない。タラレバといつも後悔を繰り返す。この後悔が短時間で済めばリカバーを早く出来、後に引きづることも無いので家族など周囲に心配をさせなくて済む。また自分を失うほど悔しがり、逆に周囲に気を使わせることも無くなる。ゴルフに誘いたくない友がいる原因でもある。
旅は道連れ 人生の道中 何が道連れになるやら分らない。乗った電車の中で おばさんグループのワイワイが聞こえ、アルコールを入れて眠ろうとしたのに休めないこともある。人生もそんなもんだと思えば良いと思う。
結婚で奥さんなら自分でそれなりに判断して お気に入りを選ぶが、それ以外の子供・親・兄弟などのメンバーは 神様のキャスティングのようなものである。オマケに時間が 子供の成長・親の死そして別離など変化させていく。従って対人関係なども自身が納得できるなら それでよいと思う。
静かに 受け入れ・考え・対処していく人間となるしかない。なお おじさんまだまだ世俗の煩わしさから・・悟りを開いておりませんので、後悔が全くないかと言われたら、「あり」と答えます。死ぬまで それでいい様にも思っています。