サラリーマン時代の退職金は40歳前であり、金額は100万円程であった。しかし子供の転校・引っ越しなどで全て吹っ飛んだ。従って使うも何も印象に残っていない。
その後は自営業だったので、おじさんは当然の如く退職金は無かった。20年程前に「中退共(中小企業退職金共済)」を銀行から勧められて、申請したら加入できた。ところがそれから10年ほど経った後、税理士から持ち株比率からダメとのことで、解約しないといけなくなった。
結果解約して手元に来たら、その年は税務署に入られ調査される、年明けには個人としての申告を求められ、規定通り持って行かれた。そりゃないよと言う結果に終わった。そして手元に残ったお金は 子供の学資などに消え、いつの間にか無くなっていた。
中退共など 何事も自己に都合の良いことを聞いても、最終責任は自身が取らなければならない。しっかり考えておかないと、勉強代は高いと覚悟しておくことである。
同級生
同級生の約半数は退職金を受け取ったようである。もっとも受け取ていたのはセメント屋に勤め、田舎に帰って来て営業所の嘱託になった友人である。次は某石油会社に勤めていた友人であった。残念ながら同級生で商社・通信・電気屋などに勤めた多くは、田舎に帰って来ることはなかった。従って金額のことなどもあまり聞いていない。
なお県内の工場勤めとなったものは、上場会社系列であればそれなりに受け取っていた。地元企業はそれなりの金額であり1000万円以下の中央値は300万円付近のようである。もちろんこんなご時世ですので無いものもいた。
信託銀行
同窓会などで話していると、退職金を信託銀行に預けたあるいは生保に預けたという回答もあったが、大多数はそれ何?という状況で、子供の教育他のローン返済で消えたなどが多かった。時代的・年代的にNISAなどは話題に上らなかった。
中には墓地墓石の購入・家のリフォーム・車の買い替えをしたら、8割なくなったと聞いた。そして孫の簡易保険を納入するまでしていた。子供が大学に進学しなかった分の補填の意味らしい。彼も以前は嘱託を65歳までと言っていたが、今でも頑張っている。
同時に同窓会に来ていないものの話となり、心を病んでダメなところに弟までもアルツハイマーで変になり、ご近所で浮いているとの話も聞こえた。
総括的には多くの場合 退職金は奥さん管理にされて細かいことは知らされていないのが現状のようである。
人様々な老後を迎えているように思う。「世知辛い(せちがらい)」世の中 音信不通も発生しながらみんな一生懸命生きていると感じる。
かく申すおじさんも 子供を大学に通わせ、全員巣立って行ったので、預金も少ない年金生活を送っている。先は 子供の負担にならない様に生きたいとは願っているが、先は誰にもわからない。
もしも ボケれば自身が分らないのでバカボンのパパ風で先にお断りして置く。
「すみま千円 なのだ!」