最近散歩の最中見かける柑橘類を見ていると「大丈夫かな」と思うことが多い。昔はミカンを作っていたので、夏の摘果などで果実を間引いて木が傷まない様に配慮しているのを知っている。ところが散歩道脇のみかんには摘果など存在しなかったか、手間を省いたようである。
その上 より甘くと完熟を狙っているのか、樹勢のことなど気にしないようである。 木本体が傷みすぎ枯れる恐れも出て来る。
「何時までもあると思うな親と金」同様 何時まで貯えが続くのやらと考え、自分で飯を食う努力はしなければならない。これからの日本での基本である。現状の様にズルズルと行くことが心配になる。
もちろん 何でも自己責任という理屈はどうでも良いと思っている。多くの場合 自己責任の前提条件を出してこないで議論していることの理不尽さに気付けと思う。責任ある判断と行動が出来ることが自己責任の前提である。未成年で働いてもいない学生に 経済的な自己責任を問うことはバカである。
仕事でも同じである。報告・連絡・相談無くして、困ったから助けろでは誰も助けてくれない。普段の義務・付き合いをこなしてこそ助けを受けることが出来る。
厳しいかも知れないが、どうやってドツボなポケットに落ち込まない様にするかを、普段から考えないといけない。あるいはポケットに落ちても、スグ回復できる手立てを見つけないといけない。
アドブルー
直接的にはおじさんの勤務先では販売していないので関係ないが、社内に回覧が回っていたので・・内部リーク。「○○日まで制限等なく仕入れ出来たが、調整しないといけなくなりました。スタンドでの販売は休止いたします」とあり、従来からの顧客に優先するとの連絡でした。既存取引先には配達、店頭販売は休止するとのことのようである。
多分 乗用車レベルであれば国産車ではトヨタ位で、マツダは要らなかったと記憶している。日本ではドイツ系乗用車を除けば、トラックだけである。排ガス規制でのシーケンスはアドブルーが切れてもエンジンは廻るが、一端エンジンを切れば再始動できなくなるはずである。韓国では乗用車までディーゼルエンジンを使用しているので大変だが、日本では比較的乗り切り易いとは思う。しかしネット注文を受けて、金に目がくらんで他国に送るバカ・売り惜しむバカがいるので 注意が必要である。
また金額と言うか値段だけで取り引きすることは良くない。狭い日本では 常に「長い付き合い」を意識した行動が大事である。
コンパネ
木製品の運送をしている知人と 最近コンパネが無いぞ!という話になった。地域によるのか、真偽は不明であるが、日本は価格競争で負けてアメリカが大半を輸入しているため、現状日本には入りにくい様である。従って現在の住宅建築状況は柱などの柱部材は入るようになったが、床などの施工が出来ないアンバランスが発生しているようである。
そのため 柱を立て床張をしようとする方は、受注業者によっては少し待たされるかもしれない。
先月はトウモロコシ・大豆・カニなどは中国に買い負け、今 コンパネでアメリカの後塵を拝する。従来からの常識・行動を考えるべき時代に入ったと思える。
それには材木の節の存在など、昔からの見た目などを大切にする慣習も言えなくなりそうである。
伝承遊び
先日 「先達」と言う事で書いたのだけど、子供たちが果たして凧上げ・羽子板・独楽廻しなどを楽しめてるか否かについて書いた後 考えてしまった。それは大人が遊び方を伝える力があるかどうかに関わること大きいと思う。
凧を上げて、寒風の中ノンビリ空を見て、流れる雲・消える雲・混じりあう雲・突如現われる雲・犬などに見立てがきく雲など 自然を楽しむなどがある。あるいは独楽同様にケンカさせて競い合う楽しみに特化して楽しむのか・・・。空白の時間を楽しむようなことの少なくなっていた時代を感じる。ゲームでは常にボタン&レバーを操作しないとダメである。ボケーとする 空白の時間の存在は難しい。
独楽にしても親あるいは身近な大人がいなければ、紐の掛け方さえわからない。最初から廻せないものなど楽しめる訳もない。羽子板にしても滞空時間が無いために、バトミントンと比べれば大きくならないとラリーするのも難しい。
まずは伝統遊びが出来る大人 あるいは楽しむ力量のある大人を育てないと難しいと考えてしまう。