日暮れが相当早くなったように感じる。昔からの言葉で 秋の季語「つるべ落とし」がまず浮かぶ。俳句などに用いられる。 秋の日が急速に暮れていくさまが、急速に井戸の底へと落ちていくつるべのようであることから、「秋の日は つるべ 落とし」と言われる。

ここ迄書いて ここで「つるべ」とは?と思う方が多いと気付く。元より笑福亭鶴瓶ではなく、井戸水をくみ上げる道具(バケツのような水容器とそれに結んだロープ)全体をさすことばである。漢字では「釣瓶」と書く。

現在では 井戸は普通になく、在ってもポンプなどを据え付けているので「つるべ」など見たことのない方が大半である。釣りに行かれる方なら、たためる水汲みバケツに紐をつけ、つるべとして利用されるのですぐ分かられると思う。

本日はお題を 「つるべ落とし」 として思い出などを書いて見たい。

つるべ

おじさんの子供の頃から 自宅には水道もあったが、井戸もあった。おじさんが住んでいるのは瀬戸内なので夏が来ると ダムも小規模のためか?しばしば渇水となり水道が止まった。そんな時に供えて井戸は常に使用し、水に腐り・濁りが出ないように年中使っていた。

「跳ねつるべ」と言われる水を多く汲み出せる形でもなく、ポンプを備えるでもなかった。ブリキ製の4L程のバケツ(婆さんは「とりべ」と言っていた)に麻のロープを付けた単純なものを「つるべ」として使用していた。

この「つるべ」単純に落とすと水の上で浮かんだ状態となり水が中に入らず汲めない。そんな時はロープを揺すったりなどテクニックがあったが・・・時代劇では長屋の奥さん達の水汲みで見る光景だが・・・そんなことしないで大人は水を汲んでいた。バケツを横にしてほり込むだけである。水面で横倒しになっているので難なく水がバケツに入り、バケツは沈んで行く。

ここまで書けばお分かりになると思うが、時代劇などでロープを振ったりしているのは日常的に水汲みをしたことが無い方である。たまに家庭菜園のため 水路に紐を付けたバケツを投げ込み、水が汲めず苦労されている方を見かけ・・・苦笑することがある。失礼があってはと思い、バケツを横にして投げ込めとは言えない。お判りいただいていると思うが おじさん 小心者である。

朝顔

つるべと来れば朝顔が最初に浮かぶ。加賀松任の加賀千代女の「朝顔に つるべ取られて もらい水」と詠まれた句を思い出してしまう。

ところが おじさんは性格的に朝顔を巻き戻して外せば苦も無い事と思ってしまうし、ロープに触れない程まで伸びるなら 半日では朝顔も伸びないので、何日水を汲まなかったのか?と疑問が沸いて来る。

なお 正岡子規は 人気はあるが言い回しが俗だとして噛みついているが・・・まあ 観察と感想の問題なので おじさんは子規のようには 突っ込まない。

またこの句 後年「朝顔や つるべ取られて もらい水」と「に」を「や」に変えられている。こんな短い句にも推敲(すいこう)を巡らす執念・・・おじさんも「かく在りたい」と過去のブログを見直す・・・ことは必要と思いつつ、時間がないと・・・日々に流される。

なお この歳まで生きのびて来たので・・・性格も・全体も 完成形と思えば なあなあで済ませる・・・お気楽である。

ほな また明日!

投稿者

おじさん

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