人生を長くしていると「案の定」と思うことが増える。しばらくすればボケだして、そう思わなくなるのかもしれない。やっぱり来たか・・・と思ったものの対策してないことも多く、どうにもならない。
人生タラレバで暮らして来たので・・・凹むこともなく、いつものことと流していく。麻雀で切った牌を再度引いて来る。キル・クールの法則だねと苦笑いで済ます。
切った直後に引いて、2枚目切ったら・・・テンパイ即 国士無双 ロン と言われない様に日々過ごしている。でもまあ 外れた時は・・・仕方なし!
ウイルス変異
昨日 ニュースで新しいミュー型が、羽田と成田で見つかっているとのニュースがあった。
発見時期が数か月前なので ウイルスの型を調べると現在はカッパー(ギリシャ文字 κ)まで行っている。これだけ変異が多いので ギリシャ文字が切れたらと思い心配していた。今さらながら 最初の「武漢」などの固有名詞の方が都合よかったとも思える。「武漢 チョメチョメ型」と聞こえが良い。
多分 遺伝子工学などの発達に伴い、細かいところまで分類されることが原因と思われる。同様なことが昆虫などの分類で発生し、モドキにモドキが付くような状態になっているのを見れば、こんなに型が多くなったのも納得できる。おじさんなどは内容が混み入り過ぎて、半ば理解を諦め「そうね」で済ませる。
人から人に感染を繰り返すほどウイルスは自己の繁殖に有利なように変異を繰り返す。従って全員で感染を防止すれば、変異の幅も狭まり対応しやすくなる。先ずは各個人が感染しない様に マスク・ 手洗い・うがいそして3密の防止である。ここらで罹っても大丈夫と 若いのが大量に感染してしまった。東京型が出来た原因かもしれない。
既視感と言えば良いのだろうか、いつか来た道と思い、前にも来たような・見たような・聞いたような事柄に収まることが よく考えれば出て来る。ウイルスが変異しても・・・対策は同じである。新しい道を走っているのだと言うように思ってしまうのは正しくないことと解かる。人との距離の取り方・換気など一部を修正もしくは厳正にするだけである。
集団免疫
抗体と言うものを考えれば、免疫グロブリンなどの抗体は主に血液中や体液中に存在する。特定のタンパク質などの分子(抗原)を認識して、排除する働きを担うものである。従って弱くなっても体への侵入を感知すれば、自らが増えて対応していく。その対応力の継続・再生が問題になるだけであるとは理解出来る。
この辺りは本人の体質・形質・習慣などによる結果と心得ている。個人差があることである。
集団免疫を得ると言う接種率70%を超えても、ワクチン接種あるいは感染によって抗体を獲得していない者は感染する。考えて見れば 集団免疫とは言ってい居るが、正しくは社会集団的免疫ということである。罹患者が出ても その人数が小さいので社会的影響が少ないという意味でしかない。罹患者を死なないように看護しながら助けることが出来る範囲に収まるという意味に近い。
こんな所にも言葉を一人歩きさせたため、利己的解釈を生んでいる。この辺りは マスコミ・SNSのレッテル貼りの弊害が出ていると思っている。
デルタ型の流行による感染の伝播が急速なことを見ていると、患者発生数の伸びから 集団免疫を得ると言う接種率は80%を超えるようにも思えて来る。
ブレークスルー感染
アメリカなどでのマスク着用不要のワクチン接種キャンペーンに踊ってしまい、その後 出て来た言葉と認識している。
今年の春先までは、「感染しても重症化しない様に」がワクチン接種のお題目であった。おじさんも かかりつけ医と話したので覚えている。当時から ワクチン接種しても感染すると言われていた。
近日のブレークスルー感染をことさらに喧伝するマスコミに不信感が沸く。またワクチン接種を受けた年寄りが大きな顔で飲食店に出入りするのを見かけ、節度を持てと何度思ったことか・・・!
ブレークスルー感染は当然あることと理解して置くのが間違いない。またそれに備えて3度目のワクチン接種が言われている。
おじさん思うのだが、免疫と言う事を考えれば 普通人はそれなりのマスク・手洗い・うがいなど自己防衛をしていれば感染確率は低くなると思う。また感染しても若ければ急速に抗体を作成できる。
従って 3度目のワクチン接種は年寄り あるいは環境的に厳しい医療機関に働く方の為と思っている。ここでも3度目のワクチン接種 急がなければなどと急(せ)かす騒動を、マスコミが引き起こさないか心配である。冷静な判断で対コロナの戦いを続けられるように希望している。
重ねて 3度目のワクチン接種の意味もない騒動が起こらないか 杞憂している。