間もなく地方選挙が目白押しとなる。そろそろ立候補したい方が後援会を立ち上げ、選挙用事務所などの手配が始まり、選挙用ポスターの看板が設置される。全国ほぼ同時に始まることである。
本日おじさんも市長選候補を励ます会に出席して、「頑張ろう」と三唱してしまった。
自治会役員 毎度のことなので仕方にと参加する面もあるが、隣の自治会からの立候補でもあり且つ高校の後輩である。付き合わざるを得ない状況・理由である。
政治
市長を見ていると数期にわたり連続すると、マンネリ化してダメなのかと思う。現市長はおじさんが子供会のお世話をしていた時 別の子供会の世話人として話したのが最初である。続いてPTA連絡協議会などで毎月会合がありよく話し合った。そんな彼が子供会の世話人当時に市会議員に立候補。二期務めて市長に立候補当選した。そして PTA連絡協議会会長を退任していった。
最初 1期で引退すると言っていたが結果は3期まで続けた。おじさんは数期当選すれば堕落すると思う。最初は意気に燃え走るが・・・しばらく経てばダメになる。常に変革を求め続けることは人間にとって難しい。現在 ビジネスの中で人材に 常に変革する覚悟を求めているが、応じて行ける方は中々いない。
ただ ビジネスは経済状況にて前言撤回もやさしいのでマシである。また株主の都合(取締役会議決)でサーと付け替えが効く。その点 政治家は転進あるいは方針変更は難しい。うまく撤回して、立ち回らないと反感だけが残ってしまう。
政治家
庶民から市の行政を見ていると、税金は市民全体が負担し平等に税金が付加されている。一方行政によるサービスも殆んどが均等との印象があった。だが親戚の方からバスについて聞いた時 少しおかしいと思った。
おじさんの親戚が暮らす山裾の地区には 公共の交通機関が無いそうである。定期のバス運行がなく、市にディマンドバスを依頼して、駅前まで送ってもらうそうである。ところが山一つ越えた先の隣町にショッピングモールがあるがそちらへは乗り入れてくれない。結果 買い物には遠く駅前まで出向くことになり、免許返納した年寄りは「買い物難民」となっている様である。
この話を聞いて 政治家もボーダーレスを求められている時代と思いだした。自分の行政区分のみならず隣接する市町村との連携を作る調整力を求められる。近隣市町村と連絡バスを相互に走らせ、人の移動と交流の増加を計る。そうすればショッピングモール・病院の相互利用など行政レベルでも 利益を分かち合うことも可能と思う。
お山の大将の乱立風景は 今の時代と社会に合わないと思う。行政のトップに求められる資質と思う。
そんな訳で 変わっていけない政治家は長く政治に留まるのは疑問と思った次第である。現在の市長の昔を知るだけに 惜しい事と思った。
政治的解決
最後に話題を変えるが 福島のトリチウムを含む処理水の放出について。トリチウムが低濃度であるにも関わらず漁協関係者が反対を唱える。マスコミが話し合い不足などと唱える姿に嫌悪感を覚える。紋切型に全てを進める余裕は 今の日本にないと思う。
首相が全漁連の会長と話し合う。直接の当事者代表なのか?服の上から痒い所を掻くようで もどかしさが否めない。互いが政治的立場の代表としての話し合い こんなやり方は昭和の時代の名残である。科学的リテラシーのない者同士の会話、科学的リテラシーのある者と感情的に固まった者との会話が 同一の土俵で繰り広げられる。
これでは一方が「理解出来ない」「判らない」で協議は終わりとなる。衆愚政治の始まりと考えられ、協議するシステムは崩壊する。まあそうなる前に「どちらも考えろ」としか言いようがない。観客代表で取材するマスコミも同じである。
少し残酷な言い方になるかも知れないが 民主主義は絶対多数の幸せを決定するシステムである。政治は少数となり、幸せから滑り落ちた方を助けるのが大事と思う。それ故 少数者を傷めつける風評被害などを起こすことは 民主主義では許されないことと肝に銘じるべきと思う。