4月1日はエプリルフールであるが、「70歳定年」スタートの日でもある。おじさん先月からアルバイトを始めた結果、40年ぶりのアルバイト代を3月末日に貰った。65歳からの一歩である。給料袋は未開封で・・・神棚にでも供えてと思ったが・・・急ぎ開封して計算書を読んだ。
週休5日なので文句も言えないか「これだけ・・・」と思う。丁度 吉田拓郎のアルバム「MINNA DAISUKI」を流していたので、そう言えば 昔はこれだけのお金を受け取れば、1か月暮らせたと思いだす。いつの間にこんなに変化したのだろうかとしばし考えた。
70歳定年が進む先を考えると 若年層の給料は上がらない可能性が大きくなると思う。高齢者の低賃金労働者の増加を考えれば当然の流れと思う。その増える低賃金労働者の多くはメンバーシップ型雇用で「ジョブローテーション」をこなして来た人材である。会社都合で「強化したい分野に人材を異動させたり、弱体化した分野の人材を他に回すことができる」といった事に対応出来る人材である。これで人件費を安価に抑えられれば、スピード感とエラそうで使いにくいことを除けば・・・使える。
能力と給料
おじさん達 60歳以上の年寄りが低賃金労働を担いだすと、高齢者の対応次第で社会が変わり、労働環境が変わると考える。個人の能力の問題もあるが、退職者の再雇用は契約社員相当レベルを更に安価な労働力が労働市場に投入されることである。高齢者 マネージメントは面倒くさいが、上手く使用できれば人件費の大幅な削減が可能となる。
多分 高齢者は従来の仕事と同じことをしたがるとは思うが、増長など下手なことが出て来ることを考え、同じ会社なら他の部門に動かすべきである。定年延長に伴う業務の変更など、大体同じ会社であれば社内の業務は同一思考で統一さえているので、理解に支障はないと思う。
完全に違う別会社あるいは再就職では同一業務が望ましい。完全に新規の仕事となる場合は 高齢者に注意が必要となる。転職など経験がない場合は慣れるには時間を要する。
なお高齢者求人の多くが末端に近いので、仕事の質も給料なども大きな落差を見ることになる。この辺りの覚悟がないと高齢者自身もやっていけない。
高齢者が職場に馴染み、若者と馴染み 新たな世界を見つけることが出来るかどうかは、個人に拠るのが大きい。
ジョブ型
会社組織がメンバーシップ型からジョブ型に変更されようとしているので、会社が改革的であればあるほど高齢者の雇用は楽になる。組織自体がメンバーシップ型からジョブ型に変わったとなれば、年齢による区別も大して気にすることもいらなくなる。高齢労働者にとっては 仕事の内容は変わらないが、組織改編で別会社に転籍したと思っていただく様にすればよい。
おじさん達の世代の1/3ぐらいはパソコンであれタブレットであれ問題なく使える。弱点は老眼などの視力低下と柔軟性低下などに伴う実行スピードの低下である。例えば帳簿記帳などにおいて 原則論を重視し判断する力があるので、パソコンの自動的入力に慣れ切った若手の職員が迷ったときなど助けになる。しかし高齢者では仕事のペースが上がらない。
ジョブ型を喧伝する方も多いが、全ての労働者が希望のポジションに就くことは出来ない。ポジションの数は限られていると思っている。逆に言えば総合職と違い他の分野の仕事経験が極端に少ないことで、「仕事のある部署に回してもらう」ということもできずに、仕事を失うことも考えらる。
同時にジョブ型のレベル差にも評価が必要となる。極端に言えば新卒と10年程業界で仕事してきた方を同一に評価することは難しい。「遣らせてみて!評価」は博打である。採用など担当するものにそれなりのキャリアと眼力がないと難しい。
多くの若年層は 物事は表裏が必ず発生することを見逃しているようで、おじさんは如何なものと思っている。ジョブ型になれば・・・とのお題目だけでは問題解決出来ない。
思い込み
人生100年時代に、高齢者から若者まで、全ての国民に活躍の場があり、全ての人が元気に活躍し続けられる社会、安心して暮らすことのできる社会をつくると安部前首相が提唱した。
おじさん元企業経営者として考えると、電通のようにある程度の年齢から若年層をフリーランスとして雇い、生きの良い内に彼らの能力を余すことなくいただくことを考える。能力が無くなれば、過去の実績に考慮することなく人を入れ替える。このことが利益を最大化する方法であることに間違いはない。
能力のある高齢者がジョブ型あるいはフリーランスで好成績を上げて来るケースもないと言えない。ジョブ型あるいはフリーランスは若者だけのものではないと理解して置くべきかと思う。
人と人は助け合い、協力・利用し合うものである。一人の挑戦は多くの場合 無理がある。多くの力を合わせグループでチャレンジするのが社会・会社である。おじさんは一人あるいはグループでのチャレンジ 何れでもよいとは思っている。それは個々の選択の問題である。
最後に子供たちに伝えたいことは 「いかに踊らされずに、仕事を続け 生活していく」のチャレンジは一生涯続く。おじさんは 魯迅の「阿Q正伝」の主人公のようにならないことを切に祈る。常に考え 問い続けることが大事と思う。
流れのない中で メダカも好き好きの方向に向いている。めだかの学校も流れがないと、どこに行くか定まらない。