ネットニュースを見ているとベーシックインカムの話が繰り返される。おじさん ベーシックインカムに否定的である。年金生活になった今も議論する奴のアホさ加減に呆れる。以前は制度についていくらか書いたが、結論的に怠け者が増える可能性があり、モラルハザードが問題になると以前書いた。

ベーシックインカムに似た共産主義での壮大な実験は旧ソ連時代に行われて、失敗しているとおじさんは見ている。おじさんの父はシベリヤ抑留を受け、収容付近で生活、付近に住むロシア人の生活などを子供の頃に聞いた。

その結果 人間とは多少のことでコントロールできるものじゃないと思えた。人間は 誇りも知恵もある社会的な動物と考えることが大事と思う。

何故か似ている

共産主義は原則的に生産手段は国家のものとなる。国民である労働者は一定の労働をして賃金を受け取り生活する。だが労働者の能力その他は平等ではない。従って出来高をノルマにて設定して平等性を確保する。日本人捕虜にも同じような対応であったそうである。父からは ノルマの設定最初は細かく良く出来たものと思ったが、時間が経つとロシア人も日本人も結構手抜きをしていたようである。

逆にベーシックインカムというのは、もともとは資本主義的な発想の中から出てきた概念である。資本主義経済では、消費者に消費してもらわないと、企業活動を継続することができない。ここで 消費者である国民の所得の保障を国家がすることで、消費が行われ 企業活動が滞りなく行えるようにしましょうというのが考え方である。

ベーシックインカムを受給するとは、消費のために動かされる世界に生きるということになる。ベーシックインカムという考え方の基本には、労働者が自らの労働権をしっかり行使して、その対価として得られるべき所得を得て生きていくという発想が足りない。正直な話 共産主義よりノルマがないので 厄介となる。最低限の労働をどこに置くかも問題になる。果たしてこれで貧困や経済格差の問題を解決するのか疑問に思う。

人間の不幸

ベーシックインカムが導入されると、精神的にネガティブな影響が広がると思う。国民総生活保護者化するっていう感じだろうか。現在も生活保護という制度に関しては さまざまな問題が指摘をされています。お金もらいながら暮らすことは「何もしなくても、医療費タダだし、お気楽で、充実もしている。最高の生き方だ」と思える人がどれほどいるのだろうかという、根本的な問題をはらんでいると思う。松下幸之助の言う自主独立の気概というか、人間にはある種の社会的本能というものがある。

ベーシックインカムをもらうとは、いわば、「自分が社会に対して何も与えることができていない」と思いながら、社会から一方的に受け取っているという状態に感じる。

実際には、本人が気付いていないだけで、何かしら社会に与えているのかもしれない。だが 自覚出来ない。

「与えていない」と思わされる状態で、一方的に給付を受けるという状況が、人間はすごく不愉快、不本意なことなんだと思います。仕事してない年金生活者のおじさんも近い感覚がある。

労働

労働は、人間という存在にとって極めて本質的なものであり、人間らしくあるための条件でもあると思う。生活保護受給者が陥っている精神的苦境はこれが満たされないことに端を発していると思う。ベーシックインカムとして労働をしないでお金だけもらえるとなると、こうした生活保護受給者の精神的苦境同様のことが国民的に広がっていく恐れがある。

労働は、人間と人間をつなぐものでもある。つまり、労働を抜きにしたら人間関係がなくなるということが言える。おじさんが ばあ様にコロナによる死亡の恐れがなくなる あるいは感染防止が計れるとなれば、バイトしたいと言うのがこれにあたる。年金は 期間を掛けて貯めて来たと言うことも出来るが・・・心の底では 微妙に違う。