先日 奥さんと買い物などに出かけた際、「ばあ様の甘酒作りと配布」が話に上がった。その日も奥さんの母(おじさんの義母)にと言うことで、おじさんペットボトル2本を預かっていた。奥さんに渡すと「まーた」と言ったので、「甘酒作って配るのが ばあ様の趣味だから」と言った。ついでに「奥さんも何か考えとかないと!」とも伝えたが・・・お分かりいただいてるのかは不明・・・まあお好きに。

こうじ

「こうじ」一応環境依存文字なので漢字を使わないが酒作り・味噌作りに使用する「こうじ」である。甘酒作りのため 月に1回は ばあ様が購入するので、買い物に付き合う。炊飯器の古くなったものを利用して発酵を管理している様である。

子供の頃は おじさんの婆さんが 祭りの時期には仕込んでいた。カメで発酵させるので 現在のように小まめに温度管理が出来るものが無いので、毛布で包んだりするなど涙ぐましい努力をしていた。おまけに量を作り過ぎるのか、自然に発酵がより進み 最後は酢酸発酵にて酸っぱくなる。そうなると砂糖を入れて無理やり甘くして飲まされていた。明治生まれの「もったいない」を前にして、当然 逆らうことは許されない。

そういえば「こうじ」は現在のようにマーケットなどで売られていないので、醤油屋に買いに行っていた。小学校の反対側で 1kmほど離れた同級生の家であったので 婆さんに言われて自転車で買いに行ったこともある。現在では同級生の家も醤油屋を廃業して、店舗跡は駐車場となっている。近所でもなく 同窓会も出て来ないので、近況は知らない。今 どうしているんだろう。

神田明神

おじさんサラリーマン時代は完全週休ではなかった。土曜日が「半ドン」あるいは「当直」などがあった。エネルギー関係なので工場他は稼働中のため、事故対応などのための対応であった。世間は週休二日制に移管しているので、家族でおじさん一人 お仕事となる。

午後になると「半ドン」のため休み。ヒマなので「都内神社の御利益巡り」などをしていた。その間 奥さんと子供は 東京ディズニーランド 年パスで夜まで帰らない。今から見れば おじさんがお金をあまり使わず「手間を掛け、ものを探して、見て楽しむ」ことを覚えた最初でないかとも思う。それ以来あまり変わらず、今日に至る。

神田明神

甘酒を推考していて、各神社近くには「甘酒屋」あるいは「甘味処」が多かった印象が残っている。神田明神 鳥居脇の「天野屋」さんには 何度かお邪魔して、あっさり甘いプロな味を頂いた。台地にあるので 地下に室があるとの由、発酵のコントロールが良いためかと思う。当時はおしゃれな店ではありませんでした。逆にそれで良かった。お店の近況は分かりませんが、あのスタイルであれば・・・また訪ねたく おじさん達世代は嬉しい。

投稿者

おじさん

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