文旦に続いて話題になっていたのがこの小型バナナである。高さは1.5m程度で、畑の持ち主も正確には分からず「バショウ」かな?としていた。実を言えば「バショウ」としているが花序あるいは果実もついたことが無い。持ち主も親が植えていたとのことで詳細は不明である。

寒くなったので徐々に葉に裂け目が付き 変色してきていた。年末を最後に見に出かけていないので、寒いが立ち寄った。

バショウ  12/15
寒波後 01/04

あれこれ

バショウ(芭蕉・学名:Musa basjoo)はバショウ科の多年草。英名をジャパニーズ・バナナと言うが、中国が原産といわれている。高さは2〜3mで更に1〜1.5m・幅50cm程の大きな葉をつける。花や果実はバナナとよく似ている。熱帯を中心に分布しているが耐寒性に富み、関東地方以南では露地植えも可能である。

果実が食用になるものはいわゆるバナナである。若葉などが食用になる種もある。葉や茎から繊維が取れるものも多い。琉球諸島では、昔から葉鞘の繊維で芭蕉布を織り、衣料などに利用していた。夏の着物の素材として有名であるが、短い繊維を繋ぎ糸を作るので結び目が反物にある。知らなくて、不良品と思う方もいるようである。

深川の芭蕉庵

深川に移ってから作られた句には、『むさしぶり』(望月千春編、天和3年刊)に収められた

侘びてすめ月侘斎が奈良茶歌

「月を眺めて侘びている(さびしく暮らしている)月侘斎が、奈良茶飯を食べて歌う歌声が、月のように澄みとおれ」 

は、侘びへの共感が詠まれている。この『むさしぶり』では、新たな号「芭蕉」が初めて使われた。これは門人の李下から芭蕉の株を贈られた事にちなみ、これが大いに茂ったので当初は杜甫の詩から採り「泊船堂」と読んでいた深川の居を「芭蕉庵」へ変えた。その入庵の翌秋、字余り調で「芭蕉」の句を詠んだ。

芭蕉野分して盥(たらい)に雨を聞夜哉

しかし天和2年(1682年)12月28日、天和の大火(八百屋お七の火事)で庵を焼失し、甲斐谷村藩(山梨県都留市)の国家老 高山繁文(通称・伝右衝門)に招かれ一時流寓した。翌年5月には江戸に戻り、冬には芭蕉庵は再建された。

深川 回転芭蕉像

投稿者

おじさん

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