上方落語に三代目 桂米朝の得意ネタ「はてなの茶碗」がある。東京では「茶金」とされる。

茶金(茶道具屋 金兵衛)という当代きっての茶道具の目利きが、京都清水の茶店でお茶を飲んでいるとき 茶碗をこねくり回しながら小首を傾げた。

今でいえば「いい仕事してますね」の鑑定団の中島誠之助氏が休憩中、飲んだ茶碗を見て「はてな?」というように小首を傾げたのである。

■古典落語

それを横で見ていた大阪出身の油屋の男 茶碗を値打ちのあるものに違いないと思い 茶屋の店主に茶碗を買いたいと申し出る。

男は最終的に二両を渡し 茶碗を手に入れる。

油屋はさっそく京の茶金の店へ押しかけ、千両の値打ちがあると言って茶碗を売り込むが、番頭は買い取りを拒否する。

しかし、油屋はごねて番頭と押し問答となる。最後 茶金自ら出てくる。

茶碗について聞かれた金兵衛は ヒビも割れもないのにどこからともなく水が漏れる。

それで「はてな」と首をかしげただけだと明かす。

意気消沈した油屋であったが、通人でもある金兵衛は、油屋から3両で茶碗を買い取り、親元に帰って孝行するように諭す。

見かけた 室外機の後
どこまで伸びるのか?

■粋と無粋

後日、この話が評判となり関白の歌が詠まれ 帝も興味を持ち 茶碗には「はてな」の箱書きが加わった。

その結果 好事家の鴻池善右衛門が千両で茶金から茶碗を買い取る。

予期せぬ展開となり茶金はこれを自分だけのものとせず、油屋を呼び出し 半金の五百両を渡し油屋は深く感謝する。

ところが後日 油屋が茶金の元に現れ「十万八千両の大儲け」だという。理由がわからない茶金が問いただすと油屋はこう答えた。

「今度は水の漏る瓶を持って来ました」

先ずは噺をお聞きになるのが良いと思いますが 抜粋まで。

■お宝

おじさんは 生きていくのに必要なことは自分で判断すること。人の評価に惑わされないことと思います。

人にとっては 美を楽しむことが重要であり、値札ではありません。

人にとって お宝はお金が先ではない、感動が先と言うことと思います。

まあ おじさん貧乏ですので お宝なんぞは持ち合わせなし。

でも行く先々で機会があれば「鑑賞料」を支払い楽しんでいます。

自分のものでなく 無くなるものでも減るものでなく 気にならず自由です。

■絵画の歴史

なにかで 浮世絵と印象派成立について書いたものを読んだとき、なるほどと理解できました。

諸説かも知れませんが・・・印象派前までは創造主たる神への賛歌を前提としていたが、印象派以降は浮世絵同様 単純に自由な意思&心で描けばよい。

おじさん見る人は特に深く考えることなく 自由な意思と心で見ればよいと思う。

なぜかサンダル

おじさん俗物のため 日々見る「はてな」に驚きながら生きてます。

投稿者

おじさん

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