1970年 大阪万博が開催された。おじさん14歳 中学2年生の夏である。
各国のパピリオンを訪ねて 国の紹介資料をいただき、社会科の自由研究として学校内で発表を計画していた。
おじさんは カナダとスイスの紹介あるいは案内パンフレットを貰うのに並んで待って・・・会場では 太陽の塔をはじめ外観の他は何も見れなかった。
本末転倒の極致のような・・・楽しめない万博であった。
今度は自由な万博を・・ぜひ楽しみたい。でも 変なマークである。
■初めての大阪
この時 初めて夜行電車に乗った。
大阪まで広げた新聞紙に座ったり、立ったり・・・いろいろな人を見た。
当時は 宿も取れず、電車の指定席なども取れない状況 つまり「超人気の大阪万博」であった。
幸いにも大阪に着けば、親戚ではないが ばあ様の幼馴染で、子供の頃から知ってる方の家に泊まれるので 強行軍の夜行電車になった。
万博見学後 初めて道頓堀を散策し、有名な人形のある「食い倒れ」で食事をし、法善寺横丁の水かけ不動さんに行った。
■粉物
大阪では 今ほど「たこ焼き」「お好み焼き」など粉物は取り上げていなかった。
おじさんは 大阪といえば「きつねうどん」か「なべ焼きうどん」である。
実をいうと個人的に 列に並んだり、待たされるのが嫌いなためである。
うどん単体は 讃岐が一番と思っているが、大阪のお揚げの大きさと味付 そしてこれにマッチする「なよコシ」のうどんのバランスが良い。
なべ焼きも同じような理由です。
その他ではやはり「串カツ」が良い。通天閣近くの店など 入りやすくて、早くて、おまけに安い。
■タコせん
子供の食べ物であるが おじさんは「タコせん」が好きである。
大阪以外では「タコせん」を食べた方はいないと思うので説明する。
「えびせん」と言われる薄焼きの大きなせんべいを真ん中で2つに割り、2個ほどタコ焼きを入れて挟んで食べる。
大阪下町の子供の味で、「舟」「楊枝」がないのでゴミも出ず お手軽である。
駅を降りた街角のたこ焼き屋などで頼むと すぐ出てきてオマケにおいしい。
大阪特有の 内側とろとろのたこ焼きとのマッチが大変良い。
タコ焼き!タコ焼き!と騒ぐ子供に食べさせたところ 以降タコ焼きと言わず「タコせん」と言うようになった。
親としては・・・安くて助かった。
■自由研究てん末
アメリカ館他 人気パビリオンの担当者は資料自体が無く また担当したのがズルするなどあり 結果は計画倒れであった。
あれだけ混んでいれば仕方ないことと思う。
そんな中で律儀に資料を持って帰ったおじさんは生徒の鏡のようなものであるが・・・周囲を見て「カナダはダメでした。面目ない」とし スイス館資料のみを出した。
ここが小市民のおじさんらしい面である。
という訳で 野心的なクラス発表会は 幸か不幸か 大阪万博盛況のため計画倒れになった。