初めてコンピューターと出会った日は大学に入学して 学内見学にて「電算センター」なるところにて本物をガラス越しに見ました。当時は本体がガラス張りクーラー付きの部屋に収まり、プリンター(ラインプリンターと言う英文タイプライターの進化系),カードリーダー(今のような磁気カードを読むのではなく 穴あけした紙カードを読む)を手前のスペースに置き,人が通常待機するコンソール机&椅子というものでした。当時「バビル2世」なるアニメが放送され、未来的な感じを持ってしまいました。

2年生の時 初めてFORTRANにてプログラミング実習を行い、ちょっとしたミスが・・・・手痛い結果を生むことを思い知らされました。

最初は「計算能力だけが優れた融通の利かないアホ」「四捨五入したいだけなのに・・・ここまで組むの?」などと思っていました。

しかし この体験が 卒業研究あるいは社会人となった頃には 「やりたいことをどう分解して どういう手順で行うか」「複雑に考えずシンプルな要素に分解し、再思考」など 従来では気づかなかったことを、気づかせ鍛えてくれました。いい体験であったと思います。

ソフトウエア開発

それから数年 4年生(21才)になって 若気の至り ある教授に逆らい痛い目を見ました。おじさんのゼミの教授が おじさんと一緒に頭を下げ、詫びてくれ 騒動も収まりましたが・・・ツケは払わされました。おじさん 今もこの恩師に感謝しています。

それが縁で 長い交友のあるK君(卒業後財閥系会社に入社 関連子会社社長を務め本年相談役に引退)の手伝いをしました。「オイラーの流体定理」「数値解析」「最小2乗法」「有限要素法」などコンピューターで解析関係に関わる羽目になりました。まだ数値解析が初期の段階でしたし、おじさんの頭も新鮮なのでそこそこ理解できました。コンピューターを短時間しか占有出来ないので、流体の計算式に数学的工夫あるいは繰り返されるアルゴリズムの手順検討などがあり 面白い体験をさせていただきました。

パソコン

パソコンと出会ったのは3年生の時でした。電気科の友人が 半田ごて片手に10桁ほどの数値表示ができる計算機を作り 見せてくれました。数行のプログラムですが作成と実行が可能であったと記憶しています。

4年生(21才)後半なって 初めてBASICが通る原始的パソコンと出会いました。

コモドアと言う会社の製品で機種名等は覚えていませんが キーボード,表示装置( 10 INCH)記憶装置(カセットテープデッキ)が付き、パラレルポートにて別売りプリンターが接続できました。その次はマッキントッシュ APPLE2, NEC8001へと繋がっていきました。

ストレートで卒業した同級生は 殆んどパソコンの洗礼を浴びませんでした。後年 パソコンが仕事に影響するとは思いも寄りませんでした。これが分かるのは表計算ソフトなどが登場してからです。

縁は異なもの味なもの

学校で少し長く遊んでいましたので 就職し社会人となった際 パソコンにて表計算ソフトなどある程度使えました。おかげで会社では 「非常に素直で 便利な後輩と言うレッテル」を張っていただきました。それ故 色々の部署&人から可愛がっていただき 会社員としていいスタートをきることが出来ました。

そんな訳で「縁は異なもの味なもの」「人生に無駄なことあって良し」「何が幸いするか判らない」が心に生きています。現在も好奇心全開 楽しいことが大好きなおじさんになってしまいました。

現在

パソコンは現在までに長足の進化を遂げ、常におじさんの目の前にありました。事務系の仕事も技術系の仕事もこなしてくれました。

初めて見た電算機の能力以上のものが 目の前の机の上に載っています。

オタク的体質のため常に最新最速のモデルを導入して 道楽的に使ってきました。

ごく最近まで CADで図面を書いたり、シュミレーションソフトで熱応力解析をしたりしていましたが、そろそろ引退と決めました。

ブログを今月から始めました。もう少し過ごしてきた日々 あるいは子供に伝えたかったことを記録したら、後人のためCADのことなど技術的なことも書いていけたらとも思っています。

マックを学生時代以降 弄ってないので マシンをマックに変えて画像関連挑戦も また始めたブログのデザインをどうするかも考えないといけない。

同時に早くやりたいこと多すぎで・・・どうしたものかの日々です。

投稿者

おじさん

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