人間「タイミング」と言い出すと「思考のポケット」に落ちるように思う。以前にも書いたと思うがおじさんは父より「人と違うから、幸せにも不幸にもなる」と言われながら育てられた。その上で、少しの差が大きな差となり、タイミングを外しただけで結果が違うことを教えられた。タイミングとは数学の特異点見たいなものである。
それ故 父からの格言は「思い立ったが吉日」と言う事であり、「始めればすべての責任は自分にあるとの覚悟を決めよ」というものである。
タイミングは個人が作るだけではなく、他人からの影響もありタイミングはズレて行く。個人であれチームであれ 仕事をしていればある瞬間良くても、次の瞬間ダメになることもある。
とは言っても誰もが 人同士の責任と言葉に任せ、信用して仕事しなければ、結果は残せない。どのあたりで折り合いを付けるかは考えておかなければいけない。タイミングというあやふやな特異点で人は始めて、紙一重のような差に苦しみながら生きている。その上で 出来る限りフェイルセーフを考えないといけないことが多く、難儀なことと言う他ない。
シベリア抑留
父がシベリア抑留され、戦後復員も大きく遅れたと数週間前に書いた。これには話がまだあり、3日ほどソ連侵攻が後であれば抑留されることもなく、内地で終戦を迎えることが出来たというものである。父の話によれば、父は関東軍の築城部に所属していた工兵(土木)だった。その当時 大阪八尾空港の掩体壕などの工事を 次に予定していた。直属の上官が大阪に先入りして、調整・計画後移動する予定となっていた。その為代理として「軍票現地通貨」「暗号解読書」を管理していた。ソ連侵攻が急で会ったので、「暗号解読書」の赤い表紙ごと燃やした。表紙は保管と決められていたので、同僚からは軍法会議ものと言われたそうであるが・・・どさくさに紛れて何もなし。前線で日本軍が持ちこたえていれば・・・軍法会議・処罰であった。
ソ連侵攻時偵察を命令されてのトーチカの状況偵察に出かけた時負傷した 。銃撃で足に銃弾を受け負傷したので捕虜になった際 歩けなかった。軍馬はソ連に接収されたが、預かった 「軍票・現地通貨」があったので ロバを購入してもらい、戦友にロバに乗せてもらい移動出来たそうである。どさくさ紛れと言えども公金横領・・・悪事であるが・・・運の良いこともある。更に突っ込めば タイミングは軍票・通貨が紙くずになる直前である。
命令されてのトーチカの状況偵察 軍曹と一緒だったので短い銃剣を帯剣していたので、銃弾を抜き出し治療・止血してもらえた。曹長であれば軍刀なので銃弾の摘出は無理だったとのことで・・・何処に運があるのか判らない。この話の中で、太ももに銃弾を受けたが 熱いだけで馬を繋いだ場所まで50m程全力疾走が出来たとの逸話も聞いた。人間 命が懸れば・・・普通に考えたら出来ないことが出来るのを体験したとの話を聞いた。
その為 後3日ソ連侵攻が遅ければ、負傷することなく抑留も無く日本に着いていた・・・と述懐していた。
そのため おじさんは、人間は紙一重な部分があることを否定しない。今もばあ様を看ながら、80-50問題が話題にのぼれば、おじさん自身が紙一重と思う。
人並
人並と言う事を考えると、人のライフスタイルは ほぼ皆同じである。20~30代で結婚して家族を持つ。その為40~50代で子供の大学進学・結婚などを迎え、金銭的には非常にハードとなる。高校卒業後は半数近くが専門学校・大学へと進学する状況もまた人並である。みんなが平均的に同じタイミングで生活している。
先日 サントリーの社長さんが「45歳定年」を言い出したので、この人並のライフスタイルが維持できないので異論が続出する。強者の論理と一言で片づけているものが中心と思うがその状況を招いている「社会のありよう」を見直せば良いのではと思い出した。
社会的に転職が問題なく出来て、転職期間に休業補償が十分受け取れ、就職後は賃金も多く成れば問題にならない。また会社が45歳定年なれば、新卒時に会社選択の判断基準となる。
子供の進学についても学資が掛からない、あるいは返済免除が付いた奨学金などでカバーされるなど、子育てに社会的アシストが多ければ問題はなくなる。奨学金返済に悩む若い方も生まなくなる。
だがここで考えておかないといけないのが、変更される前に奨学金を受け取った方である。制度が変わっても前の制度まではさかのぼって救済されない。従って取り残される救済されない方を救うのも政治と思う。
同様に会社に所属し働いている方は、今更言われてもどうにもならない。ルール改正は社会的合意を得てしなければならない。別にルールを作り生活しようとすれば、おじさんの様に会社を設立し、仕組みを組み込まないといけなくなり、非常に面倒なことが多くなる。おじさんがフリーランスでありながら、厚生年金受給出来るように会社をつくった。結果 福利厚生費は経営的には成長力をいくらか阻害することが分かった。
おじさんがサラリーマンだった頃、団塊の世代通過に伴い 給与規定の賃金カーブが平らになり、中高年になっても大きく変わらなくなった。団塊の世代も通過し、団塊ジュニアは昔ほど多くない。企業も景気が上向けば ソロソロ 賃金カーブ を元に戻せる時期と考えてはいけないのか?と思っている。
そう言えば子供の頃 年金制度が具体的に始まった時期でもあった。おじさんの父の世代は 婆さんは年金が無いので生活費を渡していた。おじさんが子供の頃 寝たきりになった婆さんの枕の下に置かれた財布から小遣いをせしめて、駄菓子屋に行って父から怒られた。「婆さんが喜んで出しても 年寄りの金に手を出すな」と言われた。父が毎週婆さんの財布にお金を補充していた。そんなことを知っているので、年金制度の落ち着いた時代だから(おじさんがサラリーマンだった30年程前 バブル後)中高年の賃金抑制が出来たとも思う。
これからの時代 働き方にもジョブ型の賃金体系もあるので、給与を決めるのも一様には出来ない。社会制度と個人の能力そして賃金 なかなか難しい問題である。