明日は「井手さらい」と言う水路清掃に駆り出される。農地の多くは委託しており、家庭菜園程度であるが 畑のある区域の中に少しばかりの畑がある。これから冬野菜の作付けが始まるので事前に水路清掃となる。米作であれば田植え前に始めるのと同じである。
本当に少しばかりなので以前は 狭い畑の持ち主の交代で声が掛かっていたが、高齢化とともに参加者が減り、おじさんにも毎年声が掛かるようになった。尚 高齢化と言っても畑を大規模に作っている農家に貸し付けている。そこで登場するのが東南アジアからの研修生である。
明日は5時起き・・・きついな・・・雨降らないと良いのですが?
言語
以前は中国系が多かったが 現在の主力はベトナム、 カンボジア 、インドネシアとなっている。英語で話し掛けても殆んど通じない。何人かに一人 片言の日本語を話す方がいて話を翻訳してくれる。どうも言語がベトナム系・カンボジア系・インドネシア系と分かれるらしく、下手すると研修生同士が日本語で話している。こんな風景を見ていると言葉はやはりネティブな環境で学ぶと良いと判る。
そう言えば ばあ様がデイサービスに行くとインドネシア女性が世話してくれるようです。話していると、看護資格を取り、同時に日本語学校で勉強したとのこと、日本人の名前もしっかり覚えて対応してくれると言っておりました。
こんなことを聞いていると、日本の若者と育ち方が違うことを感じる。子供の頃 父に海に投げ入れられて 無理やり泳ぎを覚えたことを思い出す。浅い所で息継ぎが出来て5mも泳げれば、後は深いところで泳ぐのはチョットした勇気があるかないかである。
おじさんも原則的には父の考え方を引きづっている。一定レベルとなれば、親が出来るのは見守るだけである。苦労は買ってまですることはないが、苦労を楽しむあるいは 自らの不足するのを何とかするなど、そう言う要素が人生にあってこそ楽しいと思う。
なお最近は・・・子供が同等あるいは逆にもなって来たところもあり、嬉しい限りである。
民族性?
研修生である彼らと仕事をしていると、やはり仕事も民族性・性格が左右するかとも思える。まじめさの質に いくらか違いがあることは感じる。特に日本人の高齢者と一緒に仕事をするので、徹底することへの意識に差がある。
彼らは出れば雇われている農園から賃金が支払われる。おじさん達は別段の小遣い銭さえない。それでも日本人の高齢者は適当にと言いながら・・・隣百姓だから と言いながら サボらない。若い者もそんな集団に入って、仕事とは 人間とはと見ることも大事なことと思う。
話は変わるが 研修生の国で10年一寸先に 起きることを彼らは見ている。日本での生活から何を見つけるかそれが彼らの10年後を決めるように思う。
この年齢が来ると いかに周りの風景を見て行くか、何を見つけるかなど ほんの些細なことが人生を左右するのを見て来た。彼らを見ているとそんな感覚を持ってしまう。
まあ 暇な爺の暇つぶしと思うことにするが・・・普段使わないところを使うので 月曜日以降はきついだろうと考えている。
後記
久々の5時過ぎ起床 天候にも恵まれ 6時開始7時終了で「井手さらい」終了しました。おじさんの入ったグループは日本人が4名 研修生が6名となりました。日本人ではおじさんが最若年で、後は70歳以上の方々です。年々日本人は少なくなってきたと思います。研修生とあいさつを交わし、通じたのは「おはよう」「ミスター」と「フェア ユー フロム」だけでしたが、聞いた結果 カンボジアから皆さん来られたようです。
今年も大過なく無事終了。カンボジアの方はよく働く民族のようです。日本人が水路に垂れた草を取っていると最初はしませんでしたが、しばらく後には草取りされていました。こんな所にも民族性は現れるように思いますが・・・メンバーに恵まれたのかもしれない。