今日は神社大宮で 祈年祭(昔のいい方なら紀元節)に参加したのだが・・寒い季節なので 神社側も 大き目のストーブ3台を拝殿に据えて 暖房していた。しかし 神事を始めると一部の扉を開け放つので一気に熱が逃げて行く。宮司の祝詞奏上(のりとそうじょう)が終り、玉串奉奠(たまぐしほうてん)になると 横の扉が開いているので・・さらに寒くなる。正直 コートは神事中には着用出来ないので、床几(しょうぎ)の足元に置いて、神事が終るまではそのままである。
子供による「浦安の舞」を奉納する際は 正面の扉も開け放つので・・屋外と変わらない。そんなことも1時間ほどの辛抱であり、神事が終れば 社務所で直会(なおらい)となる。
直会も 御神酒の盃を上げた後は 自然流会となることが大半になった。昔は食事をしながら会話して、更なる御神酒を追加していたが、皆が車の運転があるので そんな流れが定着した。11時半から厳島神社関係者のみが厳島神社側で会合を催した。こちらも連絡と言うことで・・20分ほどで終了した。なおこちらの会は 大人の話が多く、ここに書けないのだが・・無事終了した。
自宅に帰ると奥さんは既にご飯を食べ終わっていた。直会の食事で配られた仕出し弁当があるので、奥さんとTVを見ながら おじさん一人で食べた。その後の片付けも もちろん おじさんがした。引き出物と言うべき撤饌(てっせん)には 御菓子の詰め合わせが入れられていた。なお 撤饌とは神前の供物を下げたものと言うのが元の意味であるが、魚・野菜など 山のもの海のものなどは 直ぐには分けられない。最近は大体が お菓子の類である。勿論 夕食時デザートとして食べた。
今日も半日 何かと慌ただしく過ぎてしまった。ブログのアップも昼からになり、いつもとはパターンが違った状況である。本日は ばあ様がデイサービスに行っているので、行事があっても気にせず参加できる。ばあ様がいると「どうして?」と聞いて来るなど、不安がり 何かと説明・手間がかかるので・・今日は楽である。
最後に書き物が短いようなので・・紀元節について・・紀元節(きげんせつ)は、古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日をもって定めた祝日である。日付としては 西暦紀元前660年2月11日。明治6年に定められた。神社・公園などにある石碑に「紀元2600年」と書かれているものも多い。これは 昭和15年と言うことになる。有名な零戦つまり零式艦上戦闘機は 海軍の兵器として正式採用された年が 昭和15年なので零式となっている。陸軍の四式戦 疾風(はやて)は昭和19年正式採用などと分かる。そしてこの時代から軍国首主義と言われる暗い時代になって行ったことも忘れてはいけない。