先ほど ばあ様を自宅に連れ帰ったのだが、外で空になった燃料カートリッジに穴明などが終った後  ばあ様の乗ったセニアカーに 軽トラ横を出たところで突っ込まれた。前など見ずに セニアカー最高スピード 時速6kmの速さで納屋から出て来た。手元アクセル全開状態である。その後は そのまま道路に進んで行く。微妙な一旦停止で 左右見てるのか?心配になる。一旦セニアカーに乗れば・・ばあ様 自由自在最強である・・普段は膝が痛くよぼよぼ歩くが、セニアカーに乗ると一変する。声を掛けると 近所の商店で花を買いに行くとのことなので そのままほっとく。まさにセニアカーの暴走族と言った趣(おもむき)である。

 スマホのトラブルなんぞは・・もう過去の話しと言った風情である。多分 仏壇の花を買いに行ったのだろうと思うので、放置しておけば納得の買い物が出来るのだろう。更に足を延ばして食料品店にも向かい、買い物もするのだろう。ところが ばあ様セニアカーで墓には行かない。墓地の中はセニアカーで近くまで行けるが、帰る時には墓地の中を大きくバックしないといけないので、墓参りは行かない。こちらはもっぱら おじさんと奥さんの仕事である。そう言えば早2月 年末の墓参りの萎れた花を 片付けに墓に行かないといけない。

 まあ 90半ばとなっても 元気なので良いのだが・・何かあると自身の体を忘れて動く・・コケそうになりながらも大丈夫なようなので放置してる。昨日も脱衣所に置いた小型ヒーターの電線を片足で押してどけようとする。年齢から言えば 奥さんの母(こちらも ばあ様)は5歳以上下であるが、杖が離せず片足立ちなどは出来ないので・・そこから見れば しっかりしている。

 ところが ある程度元気なので 口出ししたり手を出さなければ良いものを・・しゃしゃくをやく。香川県での方言で「しゃしゃくをやく」とは「世話を焼く」「世話をする」という意味である。悪く言えば アレコレと口出しする。年齢がそれなりになれば、「知らぬふり」あるいは「いい加減にしないといけない」のだが・・この辺りがまだ分からないようである。

 まだ自分が見えてないと思っている。現在「中道」と言う言葉をよく聞くが、仏教用語とすれば 全体を見渡して、自身の考えを偏らない様に調整することだが・・唱えてるご本人達が自分をどう思っているのか?と考える。それ故 「人が悟りを開くのは難しい」ことと おじさん理解している。そんな時は「有無を離れる」が重要と自身を戒めることとも理解している。でも「有無を離れる」と・・自己主張など出来なくなる。

分かるかな? 分かんないだろうな?

投稿者

おじさん

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