南京博物館がネットに公開したと言う手紙を読んでいて、軍曹の軍刀について疑問があったので書くことにした。氏名と軍曹と言う階級は追いかけて確認できたとしているので、それ以上は追いかけても無駄と思うので、別の切り口から意見を述べる。
南京大虐殺記念館が日本軍兵士の手紙公開、狂気と人間性喪失が顕著―中国メディア(レコードチャイナ)|dメニューニュース(NTTドコモ)


おじさん子供の頃 父の武勇伝と言うか?ソ連軍の捕虜になった経緯を聞いていたので、違和感を持った。おじさんの父は 関東軍参謀本部築城部に所属していたのだが、終戦直前に直接の上司は大阪八尾空港にて掩体壕などを作る前乗り準備のため すでに大阪に移動をしていた。そんな中 8月8日の終戦後 ソ連軍の侵攻に伴って 自らが作った国境線のトーチカと言う陣地の状況偵察を命令されて 軍曹(伍長)を連れて向かった。
トーチカの見える丘に辿り着き、麓に馬を繋いで丘に登ったら・・そこにソ連兵がいて 撃たれたそうで右足に貫通銃創、左足に破片が刺さったそうである。子供の頃 肌色の変わった太ももなどを見せてくれた。両足に弾を受けたのに100mほどの坂道を駆け下りて、馬に乗って逃げたそうである。その時 軍曹(伍長)と一緒だったので、伍長が帯同した銃剣(ゴボウ剣と言う愛称であった)で破片を抜いてくれたそうである。あの時 曹長と一緒ならお互いに軍刀を帯同しているので、銃剣じゃないので破片を抜くなども出来なかったと回顧していた。その時 父の話した意図は「人間両足撃たれても イザとなれば・必死になれば何とかなる」との話であった。
その後 何とか父は本部に帰り 金庫内の赤い表紙の暗号書などを 伍長に手伝ってもらい表紙ごと全て燃やし、工事費支払い用の札束(日本が負けたので 実際は焚き付け程度にしかなかったが、乗って移動出来るロバ程度は買えたそうである)をカバンに入れて・・捕虜になったそうである。なお 暗号書の表紙も燃やしてしまったので 上官からは軍法もの(処罰)・・と言われたが・・実際の処罰はなかったそうである。
こんな話を子供の頃 聞いていたので、手紙の内容との齟齬を感じた。手紙の様に 軍曹(伍長)が軍刀で相手を殺すことなど無い。日本刀自体を軍曹は持っていないのである。日本刀で相手にとどめを刺すなど 話しに無理がある。旧日本軍でも軍装に対して階級ごとに明確な基準・規定があり、それを破ることは 難しい官僚組織でもあったようである。
それに 父から軍刀にもたれかかると軍刀は曲がったそうで・・定期的に治してくれる鍛冶屋さんが 部隊を巡回しており 直してくれたそうである。桃太郎侍の如く 何人もバッタバッタは 時代劇の話しであるとも聞いているので・・この手紙は筋の悪い捏造話であるとスグ分かった。
おじさんより 年上なら多くの方は知っていると思うが・・金のためなら 魂を売り飛ばす変な輩がいる時代である。それ故に 細かいところで辻褄が合わず、齟齬が出て・・恥を晒すものである。
さらに言えば 切手が無いので完全な部隊内で出されたものであり、検閲もあった軍事郵便に残酷な内容を書くことは難しい。ひねりが足りない内容であり、中国人と日本人では感性が違うようである。家族・身内などに暴力性・非日常性を知らせることは日本人的ではない。軍曹の身分ではチェックされずに手紙を送るこては不可能である。佐官の身分ならいざ知らず・・軍事郵便を封印・送付前にチェックされるのは・・・当たり前である。基本的に 便箋の内容で出される軍事郵便などありえないと思う。
埋葬された遺体も見つからぬ南京虐殺
嘘っぱちの辻褄合わせのネタが溢れる。