これは難しい超難題である。人間に共存意識はあってもクマさんが共存意識を持っているかと言うと・・そんなことは分からない。あくまで住み分けることしか思い浮かばない。日光の猿へのエサやりと同じ様なことになり、ノー天気に近付き過ぎたら・・襲われるように菓子袋などをひったくられる・・相手は 命を掛けてエサを求めて生きている野生動物と認識していないと辛い思いをする。
数日前にニャンコ飯で書いたのだが、普通人間が残飯としているものは まだまだ命を繋げる食料となりえる。最近はわんにゃんペットのためにペットフードを与えるのだが、高たんぱく・高カロリーと 自然界に生きるクマなど動物にとっては 大変なご馳走である。ペットフードは完全に「クマ寄せ」となる。先日からヒグマ被害の出ている町のホームセンターのゴミ箱が荒らされた原因はペットフードにある。報道の初期に収容物にペットフードと書かれていた。
北海道知床では湖の近くを散策する際は木道が設けられている。クマと人の出会う機会を減らすことが目的なのだが・・日光の猿と同様に 季節が良いと川沿いの道でクマが鮭を取る姿を見ようと、道路上に駐車して車両から降りているのが多い。少し間違えれば事故が発生する要因である。柔で・・エサを求めて寄って来る人なれしたキタキツネだけでもあるまいに・・正直自然に対する畏敬と言うものが足りない。最低 車から降りるな!
おじさん 命を粗末にすることは避けたいので、ジビエには両手を合わせて命を頂くことを感謝しつつ・・食べて感謝したいと思うタイプである。クマのカレールーでも発売されれば・・即購入を考える。ひとたび美味しいものを知ったクマさんが、ゴミ漁りをやめるわけがない。人間の不注意によって引き起こされたクマの変質であり、同じ生き物として いずれを守るかと考えればクマを間引くしかない。
人を恐れぬクマを作った人間の行動が最も悪いが・・致し方ない。 住民全体で集落内の草を刈り クマが近づかない様に周囲に隠れる場所を減らすしかない。生活ゴミの処理も変えていかなければならない。しかし人口減・高齢化でそれも難しいことになって来た。クマの生存を守りながら いかに住み分けてコントロール出来る体制に持ち込めるかが・・人の英知であると思う。一度間違って 踏み外したものをリセットするのは・・大変と思うが 仕方がない。クマには共存と言う観念はないのだから・・人間が配慮するしかないのが現実である。改めて 安易に自然を考えた人々の罪を考えてしまう。クマ(野生)と人間との距離を改めて考える状態である。
野生動物としてクマの行動変化は当たり前ですが・・そんな行動変化を許してしまった責任と管理は人間の問題です。実際に老若の人々の命・安全を守るためには・・クマを減らすしか方法はありません。今回は心を鬼にしても仕方がないと思いますが・・同じことが再び起きないことを望んでいます。また そんなことに協力する方々の心労を考えると・・「ありがとうございます」としか言いようがない。命に向き合う大変さを思う。