日本の調査捕鯨船への妨害行為を指示したとして、国際手配された反捕鯨団体「シー・シェパード」の元代表ポール・ワトソン容疑者がグリーンランド(デンマーク)で釈放され、フランスに帰国した。デンマーク司法省は12/17に日本への引き渡しを認めない判断を示し、元代表は釈放されたが、日本政府はデンマークに抗議したのか?官房長の「遺憾砲」だけなのか? ある意味フランス・日本の主権を掛けた闘いである基本が行われたのか否かの説明がマスコミ・政治家からない状況である。

 報道では フランスでは、マクロン大統領が元代表を日本に引き渡さないようデンマーク側に要請していたほか、パリ市は元代表を名誉市民に選んでいました。

 その後 記事を追いかけるうちに気になったのは、シーシェパードの通訳をしていた日本女性の部分であった。彼女は初めから 「私はクジラを食べていないし、クジラ漁は日本の伝統漁業ではない」とのことであった。正直 親に聞いて見ろと思った。おじさんの年代は学校給食で1月に2度はクジラが出ていたし、魚屋に行くと5cm角で20cm弱の凍結ブロックを切り売りしていた。無論着色されたベーコンなども置いていた。

 肉屋にはほとんど鶏肉が中心で豚・牛は少なかった。缶詰の大和煮は贅沢品であり、東京オリンピック前後まで クジラは国民のたんぱく質不足を補っていた。昭和は激変した時代であり、地域地区により大きく変わっていった。そんな時代を過ごしたので、将来の先進国の老齢化と新興国の多産化を考えると、世界の食糧事情ではたんぱく質が不足していく。ビーガンなら大豆たんぱく・オーストラリアなどなら畜産と言うであろうが、現在の地球温暖化による気候変動を考えると、選択肢を削っていくことは得策ではない。

 クジラは和歌山の太平洋沿岸のような ほとんど耕作地が少ない地域に行けばクジラ漁について体感的に分かる。「鯨一頭七浦潤う」(くじらいっとうななうらうるおう)と伝えられている。今の時代に太地などに行ってもあまり感じないが、熊野古道など歴史的に浦々を結ぶ交通状況を考えれば見えて来る。おじさん通訳であった女性などの想像力の希薄さを感じ・・・おバカとしか思えない。クジラ漁は生死を掛けた伝統漁法である。貧しい中の宝くじを当てる行動のようなものと理解している。

 20世紀からの近代捕鯨ではなく 船の歴史を知っていればこんなバカなことは言わない。江戸時代の和船 二丁の櫓(ろ)をつけて漕ぎ、隅田川で吉原までタクシーのように使用された猪牙船(ちょきぶね) そしてクジラ漁・カツオ漁に使用されて来た 八丁の櫓を付けた八丁櫓(別名 鯨船)。船の歴史を知っていれば伝統漁であることは直ぐわかる。櫓を多く付けての和船の運用は 軍船からのものであろうと思う。三重県南部は九鬼水軍の本拠であり、和歌山太地でのクジラ漁への使用も 自然である。返す返すも 女性通訳自身の体験のみで、伝統漁ではないと断言するアホさを感じた。そして 江戸時代のクジラ漁は人間とクジラの命を賭しての戦いであったが、現在は船・銛などの発達によりワンサイドに近いので・・多くの方が 残酷と感じるのだろうと思う。

三丁櫓がありましたので 漕ぎ方の参考までに みんなが声合わせ・・レガッタと同じです

 日本人はクジラの全ての部分を頂き、感謝とともにお祀りして感謝をしている。鯨油を取る目的だけでクジラの命を頂いたのではない。おじさんは 今もクジラの大和煮の缶詰を バイト日の個食する時食べる。奥さんは 高くて硬いもの食べなくてもと言うが・・せめて日本の捕鯨技術を残しておくための領海内捕鯨を応援するささやかな行為である。田舎なのでクジラ料理店もないので 一月に1回やってることであり・・捕鯨技術と解体技術を残して、選択肢を未来に残すための小さな応援である。

文句はいつでもお受けします!

投稿者

おじさん

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