厚生年金における106万円の壁について話題に上る。これはおじさんのやっていた小さい会社の経営者であれば、事業計画時の人件費増大となりキツイが、労働者にとっては半額負担となり 将来の年金を考えればありがたい。健康保険の負担率は被保険者本人であれ扶養家族であれ 病院窓口で支払いは3割負担と変わらないので健康保険では家族単位で考えれば負担増となる。しかし将来年金受給となれば12万円を超える給料で5年以上働けば 老後毎月1万円近い年金を受け取れる。現在は子育て真っ最中であるが 将来的には社員としてしっかり働きたいとした場合の基礎とも出来る。離婚して子供を引き取り状態であれば 病院などに通う際にも障害が少ない。

 「損して 得取れ」と同じ話である。早死にすれば 収めた年金は戻ってこない。しかし奥さん子供がいれば遺族年金などで、子供が大きくなるまでは返って来る。また 年金制度は生きてる限り一定額を頂けるので、老後のお金に対するストレスは減る。また年金の運用利率は比較的高く設定されているので、下手に民間の保険に積み立てするより 税を含めて考えれば得である。

 この制度変更は以前から厚生労働省がパートに対する優遇を目標に検討されて来たので、所得の103万円の壁と時期が重なるのも致し方ない。しかしどちらかと言えば 話がまぎれるので 片方ずつ決めればよいと思う。優先順序を考えれば106万円の壁は後回しでも良い。少し穿った見方をすれば、財務と厚労官僚による国民への紛らわしい誤魔化しにも思えてくる。

 おじさんは子供が 学生時代バイトに精を出してしまい結果、扶養を外れてくれた経験がある。確定申告の末日2日前に市役所から電話があり、子供の扶養を認めないと連絡が来た。現在は特定のケースとして、学生での所得が多くても2年間は認められているが・・当時はそんな制度もなく、確定申告を修正しないといけないことになった。結果は扶養が無くなり 即日10万円程度即金で余計に収めることになり、急な出費になった。確定申告最終日の前日に連絡が来て、修正が遅れれば、懲罰的な税率を適用すると持ってくる役場にも呆れた。子供が成人であれば・・・余程貧しくない限り 親が子供にお金の話などしない。お金に関しては 授業料を手始めに子供に「あご・あし・やさ」(食費・交通費・家)の費用を出しているので・・扶養と言うしかないのが親の立場である。

 そんなおバカをやっていた子供も 先日結婚して新婚旅行に飛び立ったとのこと・・時は巡り親と言う立場が子供にも訪れる。そんな繋がる未来を想像・体感すると長い目で人生を考えることが大事と思える。

 奥さんが扶養を外れて約25年になる。ほぼ2000年頃なのだがその直前まで、同級生で働いてるのはいないと言っていた。近所に住む中学時代の奥さんの同級生の名前を挙げると・・横を向き・・答えなかった。専業主婦が溢れていたのは1980年代まで・・当時から3号被保険者として年金も納めずのうのうとしていた。そんな時代はとうに終わった時代であり、夫婦一緒に頑張らないといけない時代です。

 こうして「103万の壁」を的確に指摘した国民民主のキャンペーンが、税制の核心をついているので、意見の百出状態である。これまで核心を突いた論点を出せなかった評論家・政治家・マスコミが言い出す。ニュートンのリンゴと同じで、「着想がなく論点を出せなかった輩が・・・後から言っても遅い」と思ってしまう 品のないおじさんである。玉木の女性問題を何度も繰り返すマスコミ その下世話さに気づけよ!また 役にも立たないことを!と思う。おじさん 鄧小平の「卵を産むガチョウは・・」との言葉を思い出すべきである。教条的に生きることは間違いを起こし易い。

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おじさん

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