能登に大量の雨が降り、地震からの復興がやっと終わりかけたところに、再度被害を及ぼしているようである。秋雨前線に台風の衰えた熱帯低気圧まで加わり、線状降水帯を構成した様である。本日は四国も前線の南下とともに雨が激しく降ってきたようで・・彼岸の中日 午後 墓に準備していた花を供えようと予定していたので、雨が心配でもある。それでも花を供えても即日萎れるような暑さでないことは感謝したい。
人間贅沢・我儘なもので 良きにつけ悪しきについて考えることの身勝手を思いながら、窓に流れる雨水を見ている。能登で大水の被害にあわれた方々を思うと、多少なりともこちらで降ればあちらでは緩くなるかもなどと考えてみるが・・そりゃ無理か!と頭を振る。取り敢えずは 消防・自衛隊などの方々の救助に期待するしかなく、天佑神助 被害がこれ以上にならないことを希望するしかなくなる。
朝一番から おくさんはおはぎを作り仏壇に供えたが・・幸いにも12時半頃から30分ほど雨が止む見込みとなったので、急ぎ時間を合わせて墓参りに行く。最近は便利になったもので 雨雲レーダーをスマホで見れば大体の予想が表示されるので、直近のことに迷うことがへった。そういえば 最近は高校生が雨の中ずぶ濡れで自転車で走っているのも 余り見なくなった。親が迎えに行くのか?適当に雨宿りしているのか?いろいろと時代とともに 風景は変わっていくものである。
墓参りとなれば 盆の頃の井戸水の濁りがあったので、どうなったのか心配である。井戸水をバケツに汲んで見るといくらかは濁っている。奥さんは 花だけ持ってどんどん先に行く。先に行っても何にもならないだろうにと思う。ロウソク・線香などはおじさんが持っている。
おじさんがお墓にバケツとロウソクその他の入ったお参り用パックを 来るのが遅いという顔して待っていた。そんな顔を見ていると よくぞこれまで波風立てず我慢して生きて来たもんだと・・自身を褒めたくなった。この墓には二人の間で超未熟児として生まれ亡くなった子供も入っている。時代が違えば・・と思った時もある。その前でいさかい合うのも大人げない。
このお墓は子供が無くなった直後、おじさんが建立した。そういう訳でおじさんの名前も 裏側に建立者と刻まれているのだが、以前は生きてるということで赤く着色していた。時が過ぎたので赤色は剥落したがそのままとしている。この墓を建てる時 未熟児で亡くなった子にこれ以上してやれることもないと思ったことは 懐かしい思い出になっている。時はやさしいと・・あらためて思う。
供花した後 自宅に戻ると・・雨が降り出した。普段の行いが良いので・・・としておくことにする。彼岸の中日つまり秋分の日 これで暑さも下り坂となることを期待したい。来月は秋祭りのシーズンとなる。太鼓台を運行するので秋晴れに恵まれ、気温が一段下がることを期待している。