人の平等との概念は難しい。何に対してと言うか?絶対的平等と言えばよいのだろうか?実現は難しい。神と人間ならば神の前の人間は全て平等である。ヨーロッパにおける神聖ローマ帝国内での各国国王のカトリックとプロテスタントのせめぎ合いを考えれば自然に理解できる。ヨーロッパ・アメリカでの人々の「平等」の成立は「神」と言う存在が大きな要素を占める。

 逆に中国共産党 毛沢東主席の秘書を務めた李鋭(りえい)が 鄧小平など歴代の最高指導者と人民での関係が西欧のような平等性をもたないことに「強権的」との意見を残した。おじさんはこれを感じるのは中国人民における「平等」の考え方が違うためと理解している。韓国などでも同じように地位などにおける上位と下位の区別をつけるなど 儒教的価値観が彼らを「見かけの相対的平等」に止まらせていると感じている。

 人は 相対的に平等ではないことは誰でもわかることである。学力・体力などあらゆる面で異質と言うか?人は同じではない。だが平等と言う考えを推し進める時 必ず考えないといけないのは絶対的平等である。人として つまり神の前での平等と同質の考え方である。

 日本人は多くの場合 これを自然に理解していると考えている。歴史がヨーロッパと同じ環境を作ったからと思っている。それは明治に始まる天皇の統治にある。青年将校による昭和維新でも更に推し進めた・・言葉で言えば「現人神(あらひとかみ)」と言う概念であり「国民は天皇の赤子(せきし)」とするような統治がされたからと思っている。形式として ヨーロッパアメリカの神の前での平等と同じ形式を実現してしまった。日本での目的は 帝国主義時代の幕藩体制の解消 そして国民皆兵などを目的としていたとは思う。しかし 戦後のアメリカ的考えと人権意識が入って・・現在の日本人の平等を 作り上げたと思っている。

 韓国・中国が「現人神」など存在するものか・・と正面切って批判する。そんなことは多くの日本人は 当然分かっているのだが・・自らの先祖を辿った場合 天皇家が日本人の血筋として最もコアであると信じるから、青筋立ててまで 否定しないのである。そして伊勢神宮などに詣でるのである。

 従って 日本人の人の平等を考える際 黒人などに対しても白人同様となり人種差別の考え方は育ちにくい。そんな事例が黒人の方から「差別がなかった」とネットに上がるのも多いようである。

 逆に中国・韓国人の差別されたとのことを見聞するが・・おじさんは 多くは彼等の我田引水的なご都合主義と思っている。慰安婦・徴用工などを見ていれば、補償されていないと言う大本を作ったのは自国政府であり、そこに批判が向かわないバカバカしさを感じる。金と言うか費用清算は両国政府間で終わっているので、身勝手なご都合主義と言うしかない。中国も同じで 靖国神社石碑に対する汚損を引き起こすが・・他人の宗教などに対する冒とくであり褒められたものではない。まあ 中国人は日本人それぞれの持つ平等性への配慮もなく、人間の質が低過ぎるとしか思えない。おじさんがいつも「リスペクト」と書いてしまう事柄である。

 このあたりは中国・韓国を考えると「儒教」の影響が大きいのかもしれない。自分が上位あるいは下位と思い込むバカバカらしさから抜けていない。

最後に ご都合主義の中国・韓国人の言う事 ・・大したことは言っていない。

投稿者

おじさん

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