このところの日本のオリンピックでのメダルの数に驚いている。陸上などの競技が開催され出せば変わると思うが・・いろいろ聞いたこともない競技で取っているのが素晴らしい。世界ランク1位でありながら、実際の競技で金メダルを取った方もいれば、敗れ去った方もいる。特に阿部兄妹などの明暗を分けたこともある。研究しつくされて 勝つことの難しさなどを 色々分からせてくれる。
おじさん今回印象に残ったのは乗馬である。第二次大戦前のロサンゼルス大会で バロン西と呼ばれた西男爵が 日本人として金メダルを獲得して以来のことである。西男爵は硫黄島で戦車部隊の司令官としてお亡くなりになった。兵器としては 騎兵から戦車・自動車化部隊などに再編成された時代であり、西男爵も第二次大戦時は 戦車部隊配属となった。おまけに 当時の日本軍戦車自体の性能が劣り、硫黄島では半ば埋められて砲台として使用された。
城山三郎氏の「硫黄島に死す」とのタイトルで読んだことを思い出した。愛馬は「ウラヌス」であり、体格も大きい悍馬であったと書かれていた。西男爵は硫黄島で亡くなられたが 最後までウラヌスのタテガミを持っていたとも伝えられている。なお 激戦地であったため遺骨その他遺品のようなものは発見されていない。
今回 乗馬でオッサン達の現れること、ある意味当然ではないかと思っている。バブル時代 ヨーロッパ・アメリカから優秀とされるサラブレッドが輸入され、競走馬として繁殖された。そんな中 馬体が大きく競走以外の優れた馬も生産された結果で有ると思う。また同時に経済的に安定した時代が流れ 40歳を超えても趣味として乗馬を出来る世代が存在できる人間・社会を持つ余裕が日本に出来たことであると思う。今回のメダル 人馬共に社会に存在できる環境が出来たゆえと思っている。
ついでなので 日本の騎兵の歴史で特記されるもう一人の人物は 秋山好古である。明治の日露戦争時に 日本の騎兵をロシアのコサック騎兵と互角に渡り合い戦い方を考えた人物である。馬体・人の体格から言って正面からぶつかってはかなわないと、騎兵に馬を降りて円陣を組んで戦わせた。多少かっこは悪くとも 負けない戦い方を考え使ったことは・・秀逸である。長い道を一気に駆け抜け、軽装でスピードに任せて 相手の急所を突くのが騎兵という常識を・・軽くいなして拘ることなく戦う形を考えた。
秋山好古 四国松山出身であり、弟は秋山真之 日露日本海海戦時の参謀である。有名な電文「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」との東郷平八郎発信文の起草者とされる。
少し 脱線した・・・御免!
最後に今回のオリンピック 日本人の生き方の進化・成長と言うものが見えて来た大会である。社会全体が豊かな時代を2世代以上続けてこれたため、結構自由に各々が生きられる社会になったことが見えて来る。また教育も各々個人を認めた形なので考えのバリエーション豊かで、中国・韓国のように 政治あるいは自己を判断基準などを周囲に押し付けない自由さがある。心の赴くまま自由に・・おじさん 阿部 詩さんの 傍など気にすることなく号泣する姿に自由を感じた。