早明浦ダムに95%以上の貯水があるので、このところの猛暑かつ少雨にもびくりともしない。子供の頃にはこんな天候が続けば田んぼの地割れが走り、田んぼの水入れに順番があるので、父などは時間を見ながら 夜遅くても田んぼの水口(みなぐち)で順番を待つなどしていた。そんな光景を見てきたが・・そんなことも 1度しかなかったので印象に残っている。その後は香川用水などで 水資源に問題が生まれることもなくなった。それに坂出市の府中ダムは香川用水のオーバーフローをすべて受け入れていたので、香川用水完成後は市内の水不足・給水制限(節水協力程度まではあった)は発生していない。
今の時期が 田んぼでの水の調整の腕の見せ所である。土用干しと言って乾かして根をより深く誘導しながら株を成長させる。直後出穂のための水を与え出すのだが、穂水(ほみず)と言って必要なものである。東北の大雨後の用水の復旧いかんでコメの出来は左右されると想像している。なお東北はおじさん付近と田植え時期が1月は変わるので、穂が出てれば既に被害が発生している。
夏が来れば夕立が待ち遠しいと言うか・・少量の夕立の後はムワーとするような湿気が立ったが、ある程度の量が降ると焼けた地面の温度が幾らか下がり気持ちが良かった。おじさんの子供の頃はワイルドな時代でもあり、隣の牛小屋の一角で刈り取ったヨモギなどを燻す様に焼いて、牛小屋の蚊を追い出すようなことをしていた。こんなことで 蚊を退治出来るのかと疑問を待ったが・・そんなものだろうと見いていた。今では奥さんが近所でごみを燃やしたのか?洗濯物に匂いがするとよく言っているが・・子供の頃のヨモギなどを燻した匂いはそんな半端なものではなかった。
おじさん奥さんの話を聞きながら 奥さんの実家周辺はおじさん家(ち)より家が少ないので、また昔は家に牛さんが居たと聞いていたので、そんな風景は見てきただろうにと思うが・・そうでもないらしい。急激に変わっていった時代であり、おじさんの同級生が結婚する際 子供の頃からの風景を映すイベントがあったのだが・・おじさんの同級生は4歳の頃まで白黒写真。4歳下の奥さんは最初からカラー写真であった。年代と親の仕事・所得で大きく変わっていたのが伝わってきて、出席した同級生同士で自然にうなづき合ったのを覚えている。
おじさんが 本日のタイトルを思いついたのが、同級生の家の前を車で走っている際 同級生が井戸水を自宅前道路に撒いていた。コリャまた懐かしいことをと思い車を止め、声を掛けた。どうも庭木に水を掛けていたが ついでに涼しくなるか?と思い、道路まで撒いたとの話であった。すぐ乾いてムワーとしたので・・井戸水なのでさらに撒き回ったらしい。おじさんの車にも掛けてきそうなので ジャーと言って急ぎ車を動かした。
確かにこれだけ照り込むと言うか 暑い日が続くので道路のアスファルトなどは焼けているので多少の撒き水では変わらない。奥さんも 昨日おじさんが冷蔵庫の氷をガサーと取ったら、見て文句を言われた。どうも水道水が生暖かく冷蔵庫にセットするまでに冷ましたりと面倒くさいらしい。それでも事前にペットボトルに汲んで冷蔵庫に入れて置けば事足りるだろうに、面倒な奥さんと思いつつ・・おじさん 只の恐妻家なので、昨日から使う氷の数を減らしている。
家庭菜園では サトイモの葉も萎れ 水を掛けてやるのだが乾燥気味で間に合わない。葉の色も薄い緑で・・色が濃くならない。ナス同様ダニでも発生したか?
スイカも茂っていたのが一気に枯れ、現在ついている7個ほどは小玉スイカ並みになったが、次の成長は怪しい。今年は 8kgほどの大玉の収穫 計4個で終わりそうである。昨日奥さんから スイカの種の周りの黄色い繊維は何?と言ってきたのだが、通常なら内部の成長に伴い消えるのが、生理障害などで成長が妨げられたためである。環境が暑すぎるのである。来週半ばまでこの天気であれば、小玉サイズながら収穫できるものがあるかもしれない。
ズキーニなどは花自体が咲かないし、カボチャも葉がほとんど枯れてしまった。現在 収獲出来るのはオクラだけになってしまった。今年の家庭菜園「炎天下」にて なかなか面倒な状態になってしまった。勿論 暑さの中で倒れてもと・・作業する気力まではないので 仕方ない。