孫の一人が後楽園の田んぼで田植えを体験したとの写真が上がって来た。田植えされているのは早乙女(さおとめ)に扮したおばちゃんと見えるが・・孫など小さいのは服装自由のようである。
おじさんが子供の頃は農家ということもあり、田植えなどの手伝いは当たり前だった。最近のような田植え機用にパレットで育苗するのは おじさんが中学時代頃からであり、昔は田んぼの一角で「苗代(なわしろ)で苗を育て、一本一本引き抜いて藁で結んで田植え用に備えていた。そして 田植えの前に束ねた苗を田んぼの中に均等に投げて準備する。田植えの際の途中補給のためである。
小学校低学年の頃はもっぱら苗代で苗を取らされていた。高学年になって田植えを手伝うようになった。大人に付いていけるか否かの体力の分かれ目であった。親である子供が田植えをしたことがないのだから・・早すぎることに気付かないのも 当然と思われたのだが・・写真でのコメントを読んで おじさんの親は自分が体験しているので、小学校低学年では体力的にきついので 苗代で苗取りさせる判断があったと この歳が来て気付いた。
田植えで1か所に植える苗本数は2本までとしていた。特例的に藁を取る場合は3本をつまんで植えた。田んぼによっては 一本苗では活着(かっちゃく)が悪いのでするなと言われたこともあった。我が家では おじさんと父母(ばあ様)の3人が植えていたので 一気に植えられないので近所のおばさんに手伝いをお願いしていた。定規と呼ばれる植える位置を記した道具を並べ一斉に植える。これで幅を決めていないと除草作業が手間となる。その為 一定のスピードで一定の本数を植え続けることが必要だった。
もう少し田植えの話をすると おじさんが初めて田植え機で田植えしたのは2条の手押しタイプであった。苗を掴む爪の調整で父から文句を言われたのを覚えている。おじさん家(ち)は田んぼが3反ほどなので乗用までは使ったことはない。おじさんが稲作を手伝っていた最後の頃は 稲刈り用のコンバインはなく、親戚に刈り取って貰っていた。それ以前は鉄腕ダッシュのごとき鎌で刈り取り 稲わらでまとめる。そしてエンジンから平ベルトで脱穀機を結び、脱穀機で籾(もみ)を外した。後年 手狩りがバインダーと言う稲刈り専門の機械に変わった位であった。
家に持ち帰り納屋に入れ天日干しで籾を乾かしていたが、後年乾燥機械によるようになった。その後は脱穀し玄米とする。書き出すと長くなるので 全体として言えば鉄腕ダッシュの農作風景を見て頂ければ分かるかと思う。
孫の感想
初めて 水を入れた田んぼに入り泥濘(ぬかるみ)に足を取られながら田植えをしたので、泥濘に入る苦労を思ったとのコメントが写真に付記されていた。まだ孫には 少し早すぎた田植えデビューだったと感じたので、これを書いた。伝えるのは難しいかもしれないが、もう少し大きくなってやってみれば また変わる。高松のひょうげ祭りのように 池・泥濘に入るのが お気に入りの大人も多い。
人間一度や二度の感じたことで 物事への見解を決めるべきではない。失敗無くして成功がないのと同じである。「懲りない」「次にやるときは上手くやる」と言うことが、大事なことと伝えておきたい。トラウマなんぞは糞くらえ!失敗を単純に恐れることが最も難儀である。
子供も 体験がないあるいは知らない状態で 人(孫)を育てているので、物事が前後して体感・感想が微妙になるのも仕方ない。それゆえ 見守る親は子供が 大らかに育つように子供に接することが大事であると思う。
失敗は 早めに(軽いうちに)した方が良い。
だが失敗を繰り返しては いけない。
また子供が怒って電話が来るかもしれない・・