おじさん 特段死にたいなどと思っていないが、病気で死ぬ場合のことを考えると・・どんな病気で死ぬのが楽か?と考えることがある。父が肺ガン、ひいばあ様が胃ガンで亡くなるのを見て「ガン」は避けたいとは漠然と思って来た。出来れば父方爺様の脳卒中(今だと?)が良い様に思えた。
理想は「老衰」であるが、そうは問屋が卸さないのが人生である。正直痛みも感じないで・・逝けたら良いのにと思っている。そうなると痛みを感じることもなく瞬間的に死を迎えるのも良いかと思うが・・交通事故死のような現場の始末と言うか?死んだ後に、人様に多大なご迷惑を掛けるのもいささか不本意である。
いろいろ病気も考えて見るが、健康寿命まで後5年まで来ると同時に「痴ほう」関係も浮かんでくる。先ほど書いたが死んだ後に多大なご迷惑を掛ける前に・・介護という多大なご迷惑を掛けることに思い至る。不本意な事柄が増え過ぎるのが老年であると思う。
かと言って寿命を全うしないのは これまで支えてくれた人々を思うとダメなことである。
そんな訳で 病気で死ぬよりも前に、どんな状態で最後の日を迎えるのか考えておかないと・・寝られなくなりそうである。死ぬ場合の病気については・・後回しとしたい。
介護
最近の60代・70代は若いと思う。おじさんもバイトしてるが、定年後も働こうと思えば働けるという人は多い。おじさんのように社会参加することが大事と思うのもいれば、踏み込んだ見方をして「働かざるを得ない状況にある」という人が増加した結果であるとも言える。
おじさんも正直に言えば 数万円であるがバイト代が入るので、ちょっとした贅沢などに費やしている。明細を言えば おじさんの小遣い・家庭菜園資材などと孫へのイチゴなどで無くなってしまう。
生きていれば「老い」という課題は、年を重ねるごとに必ず直面する。統計で言えば 年代別人口に占める要支援・要介護認定者の割合は、70代後半では12.7%、80代前半では26.4%、85歳以上では59.8%と過半数以上となっている(厚生労働省「介護給付費等実態統計月報)。
逆算すると、後期高齢者となったおひとり様高齢者約400万人のうち、約130万人が要支援・要介護認定を受けるという状態と見込める。おひとり様になるのも 独身で過ごしたという場合もあるが、死別により発生することも多いと見込んでいる。
ばあ様を看ていると、通院などは適当に対応できるが・・無理を言って家事をさせるなど、継続的に体を動かすよう仕向けなければ動かなくなる。やはり体力的にはキツイのかも知れないが、元気に年取る努力としては必要である。同時にパートナー・同居者がいるから少し無理をして動き、健康に生きていく要素となると理解している。
一般的にも まるっきりの単独での生活は介護費用を負担出来る方ならともかくも、年金の金額を考えれば全ては賄えるのはごく少数と見こまれる。子供も年金生活を迎える65歳を過ぎれば、おじさん家(ち)のように老々介護をしている方も多いと思う。
そんな連続性を考えると、結婚して子供がいるような環境が自然で良い気がする。なお 子供が先に亡くなるなど逆縁なども見聞するので、考え方・生活の組み立ては多様と見込まれる。
痴ほう
「おひとり様」を前提にしていれば、痴ほうは最悪の事態なのか?究極の幸せなのか分からない。昔 不動産取引で司法書士・医師・近親者立ち合いでご高齢者の署名を頂いたが、その際 医師から良い場合と悪い場合があるので・・と状態が正常と痴呆の狭間を行ったり来たりしていると聞いた。幸いにも署名を頂けたが・・法的手続きは大変と思った。
生活保護その他諸手続きの際は法的手続きに該当するので、大変かと推察する。ご本人が分からなければ・・本人自身は幸せのままかも知れない。支援や介護が必要となった時、おひとり様の場合は支援サービスを提供している事業者に頼ることとなるだろう。しかし頼るにも、完全無償というわけにはいかない。
最後に 国土交通省の「死因別統計データ 」によると、2003年時点では1,441人だった「65歳以上の高齢者による孤独死数」が、2018年には3,867人となっている。15年の間におよそ2.6倍も増加している。
実際に「孤独死」の数は年々増加している。前述のとおり、「経済的に余裕のないおひとり様高齢者の割合」は、4人に1人以上と言われる。そのリスクに直面している高齢者が、この国には数多くいる。生半可に人生の終末が来るとは考えない方が良いようである。
人間は集団で生活・進化した動物であり、知らないうちに他から助けられて生活している。今一度考えるべきことと思う。