本日 朝早くからソラマメの苗を移植する。無事に育っていくことを期待するしかない。先日レタスの苗を株分けしたが、その後思わしくない。世話し過ぎあるいは屋外に出したことで環境が変わったためかと思う。
レタス 少しのことが影響したらしい。おじさんも年齢になって順応力も低下し、同様なのかものかもしれない。
余りストレスを貯めないようにしなくてはと思うものの・・昨日は子供の言葉に「かちん!」と来た。子供は周囲の状況が見えないようで呆れた。
親子と言えども お金は他人。下手すれば贈与などと税務署から追及を受けてしまうので、子供から受ける返済を個人間ではなく、銀行振込にて清算しているのだが・・・ある時払いの催促なしとしていたが・・時間的余裕があるのに昨年12月末日までに、ラストの1回分の金額を振り込んでいなかった。
「今月 振り込んどくわ!」の一言で済ます。たかがと思える金額であるが 年末をまたいだのでは 来年度の申告にあわせて申告しないといけない。12月末日までに振り込んでおいてくれれば、今年度で「かた」が付いたものを・・面倒な!。
12月に振り込んでくれれば・・・と言った途端「いつでも良いと言った」と返してくる。それ以上言わさないように「ボケたの」と来たので一気に「かちん」言い争いになった。
個人事業者の家計を預かっているなら 自然人の会計と理解して年度をまたがらせるような手間を掛けない配慮が当然・・気を利かすことである。親子と言え余裕がある場合は 配慮すべきことである。
子供の言い方に「かちん」ときた。「ボケたの」言い方が親に言うべき口調でないと判断した。どうも 立派な大人になったらしい。大人なら周囲に目配りは必要かと思っているおじさんにとっては・・「おぼしき事言わぬは腹ふくるるわざなり」と言うことである。
昼飯も引きずるので、一緒にしようとは思わないので勝手に食べに出かけた。
書くか?どうか迷ったが バカに教えるには・・・書くしかないかと決めた。
おぼしき事言わぬは腹ふくるるわざなり
「徒然草」第十九段の有名な一節である。「言いたいことを言わないで我慢していると、何か腹に物がつかえているようで気持ちが悪い」という意味である。
おじさんはこのブログで、つかえた腹について書かせてもらわないと、おじさん自身のストレスはピークに達し、家庭内不和などが進行して行くと思えた。何よりも、子供の奮起と経営者マインド・自覚を促すためにも大事だと考えたからである。
「暗黙の了解知」と言うものはいくらでもこの世に存在する。それがわからぬようでは・・経営を行うものとしては失格であると思っている。
人様から引き立てていただこうとするなら、然るべき生き方・知恵を巡らすことをしてなければいけない。言った言わないのことではない。
なお 奥さんは 商売・営業しない生き方をしてますので・・奥さんがあなたに味方しても(おじさんの意見など否定しても何も)おじさんは何も感じません。生き様が違えば、ポリシーも変わります。