老後は年金を貰えても それだけでは生活できないと、分かっていないといけない。中年の頃 体験することなく 想像だけでどう生活するか?或いは出来るか?と老後を検討しなければならない。
実を言えば おじさんは 考えた経験・体験もない中で(子育てに潰されそうになりながら、アリさんのように暮らしている中で)、老後をどうするかと考えた。結果 過剰に不安になり、保険その他に過剰に入ったり、姿勢・方針などを間違えた経験がある。どちらかと言えば父の友人の話すことを具体的に聞いて、老後対策した結果が今の生活の形と思っている。
「家ついていって いいですか?」を見ていて、「ええー」と思うことが多い。登場する人物の生き様 あるいは生きて来た過去を知り感じる・・レットイットビーと共に感じる。上手く渡っている方、奈落に突き落された方 いろいろな人生が透けて見えて来る。
ある意味 次の瞬間の分からないゲームをしているのが、人生と思えてくる。どうすれば そうならないで・・、どうすれば軽微に・・、どうすれば運よく・・、どうすれば抜け出られるか・・、ハッピーに暮らせるかなどと考える。
多くの見せられるストーリーは 両極端に振れることが多い。それが一番 人に訴えるやり方・取り上げ方としては正しいと思う。しかし それを見て感じるままに夢を持ったり、恐れを持ったりする可能性があるので、受ける側は注意が必要となる。「過剰に考えるな」と言うことである。
「目出たさも 中くらいなり おらが春」小林一茶の句であるが、どこかで「そんなもの」と思える落としどころを持って暮らさないと・・人としてはキツイ。
実家に帰って家を引き継ぎ、子供が生まれ先に死ぬなど多難さを経験した後の句でもある。色々な面で取り上げる話もあるが・・おじさんは現実主義者であるので「中庸・普通」あるいは「平均」を知ることが、人間楽になる方法と思っている。「上を見ればキリがない」「隣の芝生」の平均を知ることが楽になる方法である。普通・平均を理解しておくことが、考えを推し進める力となる。
生活保護と年金
生活保護を受給する条件となる最低生活費をみていくと、東京都23区の場合 生活扶助基準額が7万6,880円、住宅扶助基準額が5万3,700円、合計13万0,580円となる。つまり東京23区では持ち家でなければ、月13万円でギリギリ生きていけるということである。蛇足であるが 区ごとのデータもあるので面白い差なども出てくる。そして子供が都内の大学に通う場合 生活費の目安が判断もできるので、子供の無暗な要求へのはねつけるネタにもなる。
一方 サラリーマンなどが得られる年金は40年掛けたとして、男性の場合、平均標準報酬月額は44万円となり、65歳から手にする厚生年金は9万6000円となり、国民年金と合わせると16万円ほど。女性の場合 平均標準報酬月額は32万円となり、65歳から手にする厚生年金は7万円、国民年金と合わせると13万4000円ほどと計算できる。
現実の数字であり、少ないと信じられなければ 計算式が公表されている。
国民年金であれば 年金額×(保険料の納付月数÷480ヵ月)
厚生年金であれば
加入期間が2003年3月までは
「平均標準報酬月額(≒平均月収)×7.125/1000×2003年3月までの加入月数」
加入期間2003年4月以降は
「平均標準報酬額(≒平均月収+賞与)×5.481/1000×2003年4月以降の加入月数」
で計算されればよい。
そう考えると、平均的な給与を手にしてきた会社員でも、老後に公的年金だけで生きていくには厳しいと分かる。男性の場合で3万円ほど余裕があり、女性では余裕はほとんどない。ところが・・この金額から健康保険・介護保険・各種税金が引かれるので、実態は甘くない。
自宅を持たない年金生活者の多くは「公的年金だけでは生きていけない」というのが現実であり、蓄えがなくトラブルが発生すれば生活が破綻してしまうと言っても過言ではない。若者が少し羨むのは2003年以前の退職者(御年80歳以上)である。おじさんなど団塊の世代以降は 羨ましいと思うべき対象ではない。
将来 高齢化はさらに進んでいき、どんなに楽天的に考えても 公的年金が増えるという未来は描くことは難しい。さてさてここから どう未来を計画するかが、個人の戦略そして力量である。
正直 人と同じことをやっていても結果はどうなるか分からない。インフルエンサーを信じて株などを「提灯買い」していれば・・順番・運に恵まれればそれなりになるが・・大半は潰れる。インフルエンサーは遅れて来る犠牲者がいるから先行者利益を確実に得る。そんな社会の大枠・システムを理解して独自の道を見つけてくれることを、後進(子供)に期待する。
言っておくが、人のケツについていくなら一番手でなければ・・只のアホである。
そんな訳で おじさんのような年金生活者 まずは節約・節約となる。さりながら 贅沢は敵だ!と言いながら、ついつい孫などに甘くなることを反省する。