台湾で昔ながらの電気炊飯器が愛用されている記事を見て「最近の日本製品は過ぎたる性能・・・」の世界に入っていると思っていたので何となく納得した。
最近の炊飯器 確かに炊き方が炊飯,おかゆなどのモードがあり 釜の材質・・・焚き方は・・火力・・おどり・・と各メーカー様々である。
奥さんからこれがいいと買ったものの 使うのは「早炊きモード」「炊き込み」のみのようである。
普段食卓に出てくるものと 調理時間を見ていれば おじさんでも分かります。
ワッフル,ホットサンド なんでも専用化あるはマルチ化している。用途はメーカー主導で決定されたものである。
なお 出来上がりは上々なことを一度は確認したが、その後の食卓(おやつ)に上がってこない。
原因は片づけの面倒くささにあると推定しているが、安全上 奥さんには聞かない。
適当
冷蔵庫、エアコンもろもろ一度設定すれば終わりである。・・・・使用感など なにも奥さんからは聞こえてこない。
奥さんを見ていると 機械での設定が多すぎてもいけないのかも知れない。
「適当に使って言うことをきかせる」・・・まさに電化製品に対する奥さんの態度が 子供を躾ける状況に似ていると 思うのはおじさんだけだろうか?
おじさんも人のことは言えない・・・まあ 同様である。パソコンのディスクトップ便利な機能があると聞くが、変わることなく「それなり」に使っている。
物つくり内部機構あるいはシステムが複雑であっても スイッチ周りのインターフェイスにこだわるのが在り過ぎてはいけない。
昔ながらの単純性あるいは適当な部分(団長性)を持たないといけないのだろう。
複雑なのは
船の電装を見ていると 昔ながらのリレー制御を多く使っている。リレーシーケンサなどのブラックボックスがない。だからこそ船員さんが 昔ながらに リレーの動作音あるいは目視で変色した故障品を 発見出来き交換もできる。
海のど真ん中で リレーシーケンサーが 故障すればお手上げ状態となる。
船までは必要ないが 使う人誰もが普通に使える単純さで、使う人が使い易い これが電気製品の基本と思う。
機能はそれなりで安全性を確保したうえで 配慮なく使ってくださいと投げ出すのが良いかも知れない。ただし 製造物責任もあるのでメーカーはいい顔しないとは思う。
息子の家で 小型の炊飯器 余り活躍してないようだが・・自炊するため買ったのか?あった。
おじさんの若いころと同じで スイッチで炊飯と保温のみの2合焚き位である。
日曜日に 冬が近づいて来たので 「コタツ」を探しに行った。
ついでに 奥さんが言いだすかもしれないと思い 炊飯器を見て歩いたが 小さい容量で多機能なものは店頭には無かった。
店舗にないことを考えると 客離れしたからか欲しがらないから・・・と原因を探りたくなる・・・性格なので仕方ない。
いずれにしろ原因は 販売店の懐の狭さと 消費者の家族構成あるいは見栄などにあるとして 考えるのを止めた。
電気釜の進化
最後におじさんの思うこと。最近の電気炊飯器のごはんは美味しい。
子供の頃は「おくどさん」に羽釜を据え 祖母が焚いていた。炊き上がりを「おひつ」に移し、釜底に残った「おこげ」を塩にぎりにして食べさせてくれた。
その後 炊事は ばあ様となったが「電気釜」に変わった。炊き上がりを超大型魔法瓶のようなジャーに移していた。
父はご飯が温かいけれど・・・匂いがすると文句を言っていた。息子であるから 「次に起きること」は解った。
翌週 超大型魔法瓶のようなジャーが 電気式の「電子ジャー」に代わる。
父はまた匂うと言ったが これと言ったものもないので 納得していた。
後年この電子ジャーと炊飯器が合体して現在の同様の形 炊飯ジャーとなった。
電気炊飯器 味はどうこう言いますが、キャンプで炊飯をして失敗した経験のある方なら だれもが「有難い」の一言でしょう。
たまには 飯盒あるいは竹筒で米を炊いて 不便さを味わうかと思う・・・。