一昨日に三遊亭円楽(いまだに楽太郎の方が馴染みがありますが)、そして昨日にアントニオ・猪木と続けざまに亡くなってしまいました。
若い頃に著名人が亡くなった時と違い、若い頃から知っている二人が亡くなると何とも言えない寂しさがあります。
我やさき 人やさき・・と自然に出てきて合掌。
子供の頃から 葬式のたびに聞かされてきたので、そらんじて唱えてしまう。
人間皆 明日は分からない。
白骨の御文章(ごぶんしょう)
おじさん 浄土真宗本願寺派なので・・先祖代々 これを唱えながら繰り返してきたように思う。良い文章と思うのでそのままに。おじさんが聞かされてきた節ごとに「。」「 」などを入れてみた。蓮如上人の手紙から取られたものである。
夫(ソレ) 人間ノ浮生ナル相ヲツラツラ觀スルニ オホヨソ(オオヨソ)ハカナキモノハ コノ世ノ始中終 マホロシ(マボロシ)ノ コトク(ゴトク)ナル一期ナリ。
サレハ (バ) イマタ(イマダ)万歳ノ人身ヲ ウケタリトイフ事ヲキカス(キカズ) 一生スキ(スギ)ヤスシ イマニイタリテ タレ(ダレ)カ百年ノ形躰(ギョウタイ)ヲタモツヘキ(ベキ)ヤ 我ヤサキ 人ヤサキ ケフ(キョウ)トモシラス(ズ) アストモシラス(ズ)ヲクレサキタツ 人ハ モトノシツク(シズク) スヱノ露ヨリモ シケシ(シゲシ)トイヘリ(エリ)。
サレハ(バ) 朝ニハ 紅顔アリテ 夕ニハ白骨トナレル身ナリ。ステ(デ)ニ无常(ムジョウ)ノ風キタリヌレハ(バ) スナハチ フタツノマナコ タチマチニトチ(ジ) ヒトツノイキ ナカク(ナガク)タエヌレハ(バ) 紅顔ムナシク變シテ 桃李ノヨソホヒ(ヨソオイ)ヲウシナヒヌルトキハ 六親眷屬(ロクシンケンゾク)アツマリテ ナケキ(ナゲキ)カナシメトモ 更ニソノ甲斐アルヘ(ベ)カラス。
サテシモアルヘキ事ナラネハトテ 野外ニヲクリ(オクリ)テ夜半ノケフリ(ケムリ)トナシハテヌレハ タヽ(タダ)白骨ノミソ(ゾ)ノコレリ。 アハレトイフモ中々ヲロカ(オロカ)ナリ。 サレハ 人間ノハカナキ事ハ 老少不定ノサカヒナレハ タレノ 人モハヤク後生ノ一大事ヲ心ニカケテ 阿彌陀佛ヲフカクタノミマイラセテ 念佛マウスヘキモノナリ。 アナカシコ アナカシコ。
おじさんの時にも唱えてくれれば、感謝表明できませんが・・最高です。
伊勢神宮宝物
伊勢神宮では神様のお使いになる神宝も20年の遷宮ごとに作り替える。常に前の時代を振り返りながら同じ材料を使い、同様の技術で複製していく。
御太刀(神刀)の束には沖縄の赤木が使われる。外からはカバーされて 見えないが使われている。原則材料のすべては国産のものである。天然染料など材料も原則国産である。
刀の束の赤木は江戸時代中期の文献ににあり、神宮敷地内に埋められた鎌倉時代の御太刀(神刀)も同様である。なお先年まで供えられていた御太刀は 太平洋戦争直後で良い沖縄の赤木が取れなくて、桜だったそうである。
こんなことを知っていると、沖縄は日本じゃないとの論はおかしくて聞いていられない。自分の思想に合わせてというか?その場の都合・力学で唱えていると思っている。 世の中 適当なことが多すぎる。されど歴史の遺物などに残されたものを誤魔化すことは出来ないと思う。
神様が刀を帯刀する際の帯が組みひもで編まれるが、編める方は日本で一名だけだそうである。6mほどあり糸の染色から始まり後継者を育成中であるとのことである。
人でも物でも 何気になくなる・・・なくなって初めて気づくが遅すぎる。続いていたことに感謝!そして引き継ぐ覚悟などが求められることを再確認する。
そう言えば 伊集院光は 故円楽の弟子であった。彼が化けるかも知れないと注目している。先代円楽に叱られながらも・・育てた結果は半ば出ているが・・落語ファンとしては 楽しみでもある。