昨日プログを書いていて、中国・韓国のことを書いた。ロシア人の国外脱出などの行動を見ていると、ロシア人にも同様に道徳的責任を負わない状態が見えて来た。国の行動は「俺の責任じゃない」と言うように行動して、隣国などに逃れ就労ビザ・就学ビザで近隣の国で生活する。よく言えば個人主義である。
豊かな時代になり、国家に対して・国家権力に抗して生活できる事によると思う。だが国家を支えるのは声を発したり、脱出できない方々である。
このような同国人に対して 責任はないのかと考えてしまう。個人の自由を守るべきか?個人の義務を優先すべきか?微妙なところがある。
国家間は国家で決めるが、国家を成立させている責任は国民にある。プーチンの大統領としての去就が気になりだした。ロシア人は逃げて良いのか?
エストニア
ロシア人にエストニアが「NO」を突き付けビサ中断。フィンランドも入国制限になるようである。エストニアはこれまでにビザを取得した5万人以上のロシア人に対し、週内に国境を閉鎖する。こうした措置を取るのは欧州連合(EU)加盟国としては初めて。これにより一般のロシア人がエストニアからEU域内に入るのが難しくなる。
エストニアのレインサル外相はロイターに対し、政府は全てのロシア人に対し国境を完全に閉鎖することを検討していると述べた。エストニア政府報道官によると、過去に発行されたビザでの渡航を禁止するのはEU加盟国ではエストニアが初めて。
毎日約2500人のロシア人がエストニアに入国しており、その約半数が欧州域内をビザやパスポートなしで自由に行き来できる「シェンゲン協定」に基づくビザを取得しているという。ロシア人も我がことだけではいけないと感じさせないといけない。
意見の多様性
こんなことを話題に入れると、「意見の多様性を制限する」「個人を国家に縛り付ける」などと言う方が現われる。確かにとは思いながら、しかし・・・と考えだす。
一応 おじさんは義務と権利そして責任が人にはついて回るのを知っているので反論したい。
簡単に説明すれば 子供を育てた方なら誰もが理解出来ると思う。子供が自由に生きていけることは大事で有るが、そのためには親が経済的に努力し、衣食住などに不足が無いように努力している。
子供と言う自由人と親と言う自由人がお互い支え、一体になってこそすべてがまとまる。我儘に過ごせるのも子供のうち 大人であれば「多様性」だけですむ問題とは思わない。単純に平等性を言うだけでは足りない。
それにしても 現在の日本の団塊世代の正義感と言うか?勝手感!一流です。ロシア人にも分けてあげたい。ここまでするとは 常ならぬ行動力です。穿って考えると 年金暮らしで仕事なしだから行動しているとも思われ、良い印象はない。働き続けてピンピンコロリが最高なのにと思うおじさんとは、大きく異なる。
閑話休題
子供も親の努力を理解しないで人生を過ごす「やから」は・・おバカだけと思う。またそれを知るからこそ、自らの子供に接するためにするべきことが分かる。
中国の言葉に「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」がある。意味としては 老人が腹つづみをうち、地面をたたいてリズムをとりながら、太平の世を謳歌(おうか)していたという故事(十八史略・堯帝)から取られたものである。古代中国伝説上の天子である尭(ぎょう)が、世の中が治まっているのを確認して喜んだ光景とされる。
また親であれば大抵はしてしまう「先憂後楽(せんゆうこうらく)」。常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。
以上の四文字熟語 おじさんが父親としてすべきことを書いているように思って生きて来た。勿論最近は・・責任感も無くなり 少し変わって来た。地が出て来たのかな?
おじさんやっぱり
適当が一番