昨日 昼のニュースを見ていると 朝鮮戦争勃発の日と言うことで・・北朝鮮では6月25日 南より戦争を引き起こされたとの北朝鮮側の解説コメントそのままにニュースが読まれていた。チョットおかしいのではと思い、記憶の確認をした。矢張り北から戦争を仕掛けている。
ソ連崩壊を受けて公開された機密文書によると、1950年6月25日にソ連のヨシフ・スターリン書記長の同意と支援を取り付けた金日成首相率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略戦争を仕掛け、勃発したとある。
北側の言い分のまま 垂れ流して良いのか?真実を伝えなくてよいのか?と思ってしまった。最後に「北側は南から仕掛けられたと言っているが・・実際は北側から仕掛けました」と付き加えるべきと思った。
問題ある相手の報道を批判もなく翻訳して垂れ流す 問題行動との認識が無ければ、自らが報道の中立性を破ったことになる。
人間どう伝えるかによって 人からの評価は大きく変わっていく。自らの意識・意思なくして単純に伝達するだけでは、サラリーマン諸氏の頼りにならない上司を評する「歩く連絡書」の如く軽んじられる。
正直
おじさん達の年齢になると それなりに生活を守るため、人の言う無理なことも「ハイー」と返事しながら、また無理を承知で曲げてきたこともある。
それでも曲げることの方が後日の不一致と言うか?齟齬(そご)をきたすことになり、全てにわたり 正直に・素直に生きたが得なんだと思うようになった。
墓場まで持っていくべきこともあるが・・噓をつかないと言うか?噓ではない答え方を考え、するようにしている。ある意味 不純さを残しつつ 正直を基本に生きている。
おじさん知り合いに、自身は絶対的に正しいように生きていると頑なに信じて、演じている方を知っている。仕事上の知り合いなので、自分のミスをどう隠すかに腐心している姿を見ていると・・内心可笑しくて堪らない。「申し訳ない」「ペコリ」で5秒で済むところを小一時間というか数日掛けて解決しようとする。
地位があれば・・対応が違うのであろうが・・無駄な時間を使いストレスを貯める。従って出世もせず、仕事もこなせないので それなりのポジションで一生送ると思っている。
「覚悟の定まらない人間」と思えば足りるようで、どこか悲しい社会人である。40歳超えたなら、覚悟を持って生きろと伝えたいが・・人様の子供である。縁もゆかりもないので見ているだけである。