ファイナンシャルアドバイザーなる資格がある。おじさんは 原則彼らの意見は参考だけと割り切って記事を読んだり、話を聞くだけである。
生活するには 各所からの定期的報酬を得て、一定所得がないと暮らせない。つまり多くの意見はバックボーン企業などからのキックバックなどを得られる目的が多いと思われる。つまり彼らは我田引水行動を常に考えながら、意見を発することが多いと思っている。
おじさんも25年以上自営業状態で生きて来たので、究極は決まった収入がなければ 生きたり、家族を養えないと分かっている。
収入が確保できれば、健康を維持して倒れず仕事を継続できることが大事となる。従って労働負荷が高過ぎ、継続して仕事が困難なこともある場合を考える。そうすれば 「楽」しなくても良いが、適当に休めなければ続けられない。
以上のようなことは サラリーマン諸氏と同じ立場である。おじさんは自営業とサラリーマンの落差は、給料を自分で決めれるだけでないと考えている。
サラリーマンと自営業者が違うことは、自営業者は 自分で決めたことで利益を受けたり、損をする。サラリーマンでは自分が決めたことでもないのに責任を取り、不利益を被ることが差異と思う。上司の命令を聞き実行するからである。それ故 おじさんは納得感と言うものが全く違う・・個人的には自営が好きである。但し 覚悟は半端なく必要とは伝えておく。
おじさんは脱サラ自営するなら 客が付く数年間暮らせるお金があればよいだけとしか思わない。後は稼げるネタ・生産手段そして営業で仕事を確保できる隙間(友人・社会のニーズ)があれば良い。仕事間などの隙間にこそ商売のネタがあるように考えている。しかし この糸口を見つけるのが難しい。勿論 糸口を見つけてなければ・・脱サラしてはいけない。人の話を色々聞いたが落とし穴に気付かず、「やってみて」と聞いた時には そこまで考えてないのかと 吉本風にこけたこともある。
また 仕事は継続的に発生しなければならない。ワンショットではどうにもならない。
札差
歴史から言えば、札差(ふださし)は、江戸時代に幕府から旗本・御家人に支給される米の仲介(受け取り)を仕事とした業者である。年に3回ほど 幕臣で領地を持たない旗本・御家人は「切米」と呼ばれる碌に当たる蔵米を受け取れた。浅草の御蔵役所から米の支給の呼出しがあるまで、浅草御蔵の前で茶や団子を売っていた腰掛茶屋や、いつも米を売り現金を受け取る米問屋の店先などで待機していた。
その内 武士の方も「受け取って置いてくれ」と腰掛茶屋に依頼をし、腰掛茶屋などが引き受けたのが始まりとされる。多くの御家人の碌米を店の一角に積み上げた山に札を差して区別したからとも、御蔵役所の入口にある藁束に差して順番待ちをしていたことから 「札差」と呼ばれるようになったとされる。
この腰掛茶屋などが浅草の蔵前に店を出したのが、札差のはじめとされる。米の受け取り・運搬・売却による手数料を取るほか、後年 蔵米を担保に高利貸しを行い大きな利益を得た。
旗本・御家人の手間と時間の無駄防止が・・最終的には旗本・御家人を借金漬けにしていった。幕末期には札差の株売買まで行われ、確実に利益を得れるシステムとなった。
社会のニーズと商売ネタ 密接に繋がることをご理解いただきたい。そして商売を始めれば 数年は辛抱して、商圏・固定客・ベースなどを確保しなければいけない。常に笑いながら 仕事を確保できるまでは辛抱しないといけない。常に仕事では 少額でも良いからお金を流すことが肝要である。
実を言うとおじさん ばあ様を看ながら若き頃と同じ様に出来るかと考えると、そう無理をしなくても!と思い出す。生活の最低限は年金があるので・・病気で継続できなくなったら・・借金と後始末が残る・・とアルバイトでお茶を濁す日々が続く。
ああ 人間年取るとダメですね。まだ先は10年程ありそうなのに・・