昨日昼は 奥さんとセルフうどんにした。暑いこともあり 最近二人が注文するのは「冷かけうどん」となっている。取った天婦羅はとり天・タケノコ・寄せ揚げ・レンコンであった。合計1200円位かなあ?奥さんが払うので明確な金額は知らない。大体一人600円位である。なお 夫婦仲はそれなりだが、天婦羅は奥さんが全て半分に切り分けるのが常である。
普段から香川県民はうどんをよく食べるので血糖値スパイクにやられて、糖尿病が多い県でもある。おじさんもその点に注意しながら 食生活を送っている。香川県 昔から夏は稲作・冬は麦作であり、多くの農家では米は多めに出荷して現金収入化するので、10月の稲刈りの手前である今の季節が来ると・・米が少なくなり・・麦の粉食つまり麺食が常となる。日本各地の田舎は同じ状況で、九州その他では団子汁、山梨のほうとう、群馬の水沢うどん、埼玉のひもかわ などもその流れである。ある意味 季節柄 食欲も衰えるので のど越しの良い粉食・麺食にも納得がいく。
食欲も落ちるので・・丁度よいのであるが・・この時期が来ると おじさんの子供の頃は うどん、そうめんの連チャンとなることが多かった。そうめん 昔は木箱で何キロも入ったものを常備していた。そうめんは 通常の食べ方の他に 温麺・味噌汁に入るなど 年中使われるのでストックされていた。
ちなみに うどんは製麺所に行って持って帰るのだが、子供の頃は20玉以上が入った「せいろ」をぼたぼたと水を垂らしながら持って帰った。そんな手伝いもあるので・・おじさんとしては そうめん・ひやむぎの方が夏には嬉しかった。子供の頃は 氷で冷やす冷蔵庫の上段にある残骸のような氷の欠片を水に浮かべてくれるのが嬉しかった。もう少し詳しく書くと・・子供の頃 製氷機能が付いた現在と同じ冷蔵庫が我が家に来たのは 小学校3年か4年生の頃であった。冷蔵庫も小さく 今ではスイカを冷蔵庫で冷やすのが当たり前だが、子供の頃はかごに入れ 井戸に浮かべて冷やしていた。そんな時代でもあった。
親戚の家が乾麺などを製造していたので「ひやむぎ」もしばしば食べさせられた。ひやむぎには緑・ピンクなどの色のついたものが 一袋に数本混じっていたのだが・・親戚のおばさんが気を利かせ 緑・ピンクの色付いたのが入った特製「三色ひやむぎ」を作って別に渡してくれたりした。お陰様で 冷静に味が変わらないことを理解しているので、色付きを子供の間で奪い合うと言う事をしたことが無かった。後年 四国松山で五色そうめんなるものを食べた時、色付きそうめんに心動かされて・・俺ってまだまだ子供と思ったことがある。分かっちゃいるけど・・別段 色で美味しさが決まるでもないのに・・同級生などは奪い合っていた。普段食べているので・・金持ち喧嘩せずのような大人びた行動出来たことを 感謝すべきか?楽しみを奪われたとするべきか?人生は微妙なところがあると 今思う。
テーマを粉食にしたので 最後に日本全国のそうめんの系譜をたどると、奈良の三輪から始まり 兵庫の揖保乃糸 そして小豆島に伝わり、そこからは北前船で秋田稲庭うどんへと流れる。九州島原はどうしてと疑問を持ったので調べると・・島原一揆の後 小豆島から人が移住していることが分かり、島原そうめん五島うどん(地獄炊き)などの伝播も理解できた。
うどんか?ひやむぎか?そうめんか? JIS規格で乾麺の太さから分けられているだけである。子供の頃に親戚でひやむぎ・そうめん作りを見て来たので、そんなもんだとスグ納得できた。生うどんはまた別の世界なので・・自ら手打ちを趣味でやってみたいものだと思いつつ、作るより食いしん坊が先に立つ。
趣味が高じては 難物であり
無間地獄の始まりである。