昨日 完璧なことなど この世の中には多くはないと了解しておくのが良いと書いた。自分自身と相手つまり会社・奥さん・パートナーが お互い完璧じゃないことを前提していないと誤る。不完全な親が子育てをする状況など「普通・通常」であり、お互いに欠点などがあると認めた上で、お互いが努力するから救いがある。許すからお互いに成長する・・そして次に繋がる。

 言葉としては 破損した鍋にもそれ相応の蓋があること。どんな人にも、それにふさわしい伴侶があることのたとえである。また、両者が似通った者どうしであることのたとえである。このとき考えておきたいのは「金接ぎ」である。陶磁器などで 気に入ったものが壊れ、それを再度使いたいと修復した結果 新たな美が現れる。欠点も見方を変えれば変わる・・そんなこともあることを了解しなければならない。考え方を変えれば 割れ鍋に綴じ蓋がベスト・最良なのかも知れない。

 おじさんが若い頃「結婚後は片目で見る」と教えられたことがあった。結婚する前は両目を大きく開けて、生涯を通じその人と生活していけるかをよく観察することが大切ですが、結婚してから仲良く暮らすためには、相手の多少の欠点には片目を閉じるくらいのゆとりを持つことが必要という意味です。イギリスの詩人の言葉とのことでしたが・・まあ なかなか難しいことを簡単に言えることではないと思います。

 その一方で 「馬には乗ってみよ 人には添うてみよ」とあり、馬のよしあしは乗ってみなければわからず、人柄のよしあしも深くつきあってみなければわからない。何事も自分で直接会って見て経験してみてからと指し示します。 おじさん夫婦などは当たらないのだが・・「似た者夫婦」という言葉もある。夫婦は互いに性質や好みが似るということを表す「似た者夫婦」がある。おじさんは しばしば奥さんに困らせられながらも・・今さらどうこうもあるまい・・と思いながら 暮らしている。

 どちらかと言えば「縁は異なもの味なもの(えんはいなものあじなもの)」かと思うことが多い。男女とは限らず 縁はどこでどう結ばれるかわからず、不思議でおもしろいものである。縁とは常識を超えたものであるという意味があり、意外なところで思わぬ縁が生まれたり、予想だにしない形で人とつながったりすることをに使える言葉です。

 少しの勇気・・

   流される心が

     人間と人生を変える

  しかし 流れつくところは 似たようなもののようである。

投稿者

おじさん

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