おじさん自身を振り返り 今はどうにかなる時代と思っている。他人の尻馬に乗ってれば ある程度間違いなく走れ、それなりに暮らせる時代である。人・グループそして状況との自己判断など 自身で判断出来ないと・・完璧じゃないとヘマると恐れることはない。
最初に始めたもの(創業者)は大きくなるか?失敗するか?の二択の要素が高い。そして2番手・3番手で創業されたものは 一番手の様子を見ながら判断できるので、失敗をしにくい。新たな創業された会社などを調べれば 両極端に分かれ易いとは お分かりになると思う。また 他人が事業で失敗した後で 安価に失敗した事業を買い取り、コストカット状態で引き継げれば 成功の可能性も大きい。選べる選択肢が多いので・・多少失敗しても・・リカバーが効く。逆に 最初から完璧であろうとすれば 自身を追い込みダメになる。会社選び・結婚など相手も完璧じゃないし、自身も完璧じゃない。多くは「破れ鍋にとじ蓋(われなべにとじぶた)」であると理解しておくことである。
おじさんの父からは 子供の頃から「人と同じことをやっても 幸福にも成れば不幸にもなる」と言われて育って来たので 同じことをやってるようで 人はそれぞれ違うことをやっているものだと意識しながら大きくなった。人と自分は違うことが基本となった。他人の成功話は 他人にジャストフィットしただけ、おじさんにはまた別のジャストフィットがある。誰もが同じであり・・聞いて考えた「型」に自らを押し込むのは無駄なことだと思っていた。そして 逆に服と同じで 自分に合わせてフィッテング出来るか否かが その後を決めると思っている。
例えばおじさんの世代に出て来た「役職定年」がある。おじさんの同級生と2歳下くらいまでの多くが 役職定年で部長・課長止まりで 50半ばから「平」になって行った。そして定年が延長され63歳(2歳下は65歳?)まで嘱託などで年下の部下になるなどしていた。これが予定していた給料の減額を招き、住宅ローン返済・学資負担において 実質の負担増をもたらした。しかし年齢などの部分に於いて 制度初期でもあったので給料減額がそれなりであったことが幸いした。しっかり苦汁を舐めたものもいたが、知人が生き方上手なのか?家族・奥さんの貢献があったのか? 致命的損害はほとんど聞くことはなかった。
しかし多くの知人を含めて 子供には国公立・地元進学など子供に厳しく要求することが多かった。ところが影(同期の役員)の力を使って 子供のマーチ大学合格に合わせて 東京への転勤などを 小細工出来た者もいた。そして そんな奴を横目で見て 同様にと狙ったが駄目になり、奥さんの奮励努力で救われたのもいた。正直 何とかなることが多い。
また 年代的にバブルの崩壊後ある程度過ぎてからの持ち家購入であったので、家の価値減による負債発生が大きくなかったという救いもあった。家を手放して 負債が大きくなるマイナスもあったと思うが・・家を売ったり買ったりしながら・・同級生では何とか出来たのが多い。奥さんが見え張りと言うか?パートタイムにも出ていなかった家族では、一悶着あったことは聞いたが・・それぞれ時代・世代などで 個の力により 一様ではないのが現実である。
おじさんは友人から言うと 子供3人大学に行かせ、子供に金を突っ込み過ぎとは言われたが・・子供からそんなことについての感謝などは聞いたことはない。当たり前のように思っているようである。子供も自身が体験すれば理解するだろうとは おじさんは思っている。その為 基本何も言わない。そんなこんなで老後資金が潤沢とは言えないので、毎度ながら2月ごとに・・苦労してますが・・基本やってしまったことは 今さら仕方がない。
子供を育てていると 何かと言っては熱を出した!学校で!と心配を掛けるなどで 予定などが崩れるのは当たり前。それでも 社会でひとりで生き抜く力を付けて貰うため、多少無理があっても ある程度大きく成れば 心を鬼にして無理をさせたりするのも当たり前である。覚悟を持って子供を育てることが大事であり、体面・他人の意見などはどうでも良い。先にも書いたが「やってしまったことは仕方がない」同様に覚悟して未来に備えるだけである。
最後に おじさん自身が国民年金だけでは 老後はダメとの将来像を持っていたので、会社を設立して厚生年金に加入したことで、現在何とか暮らせている。そんな訳で 会社は個人の幸福・都合のために設立するものだと固く信じている。 その為 「会社は永遠なり」などの資本家的信念はない。
社会の隅で 適当に暮せたら・・
結構毛だらけ 猫・・・という事で
フーテンの寅さんと一緒です