米の値段が下がらない状態が続き、流通段階が調整していると思われる。備蓄米14万トンを 卸売業者に流したが、2%程度2761トンのみ が実際に流れたようである。食管法が食糧法に変わり農水省の管理が緩くなり、流通業者の跋扈を許したと思われる。何をやっても儲けれればよいとの価値観が溢れた時代になったので仕方がない。良識のないモラルハザード不足の業者に「なめとんか?」とは言ってやりたい。新米が市場に出て来る米穀年度(11月~10月)がある以上 時間を掛ければ・・彼らの利益となる。社会的制裁が必要な人間と思っている。公正取引委員会の出張る余地はないのか?
子供の頃に慣れひたしんだトランプの「7並べ」同様である。誰かが隣の6か8を止めて「パス」をさせて主導権を握る。そんなことを主食である米で許してはいけないと思う。やはり管理出来る条文を追加すべきと思う。
第二次世界大戦を経験した日本では、その深刻な食糧不足を解消するためにお米の生産量を増やす必要がありました。 そのために1942年に食糧管理法が制定され、食糧を政府が管理統制する食糧管理制度がスタートしました。 簡単に言えば、政府が生産者である農家からできるだけ高い価格(生産者米価)でお米を買い入れ、消費者に対してはできるだけ安い価格(消費者米価)で販売するようにした仕組みです。この政府での逆ザヤを批判して自由にした結果・・戦後の米も手に入らない国民の苦しい時代を知る世代がいなくなり制度疲労すると・・勝手気ままなことをやり出した人間が出て来た結果が今の現象と思っている。
1995年11月に新食糧管理法を施行し新しい食糧制度に移行しました。新しい制度では、米の生産、価格、流通について、政府が直接管理することをやめて、大幅に規制をゆるめました。生産調整については、米の作付け面積をへらすかどうかは、それぞれの農家の選択にまかせる。流通については、これまで食管制度の枠をはずれて大量に出回っていたヤミ米(自由米)を、新たに計画外流通米としてみとめて、計画流通米(政府米と自主流通米)との2本立てとした。また、特定の業者でなくとも、米を取り扱えるようにすることで、いろいろな業者が米の販売にかかわるようになりました。米の価格については、政府の介入を弱めることで、米の価格が市場の動きにそったものになるようにしました。
このように新しい制度によって、農家は米を作ることも売ることも自由になって、米の販売でも新しい業者が参入しやすくなり競争原理が働くこととなりました。ところが生産量が落ちて来るにつれて、市場原理が働く範囲が狭くなり、ちょっと押さえれば市場原理が効かなくなる。まさにトランプの「7並べ」と同じ様相になった。手札の範囲が決まっているので キーを握れば 市場を支配出来るのである。
現在の麦価は政府が一括輸入管理してそのもとで流通させるので 小麦粉の値段は安定している。これと似た制度が必要かもしれない。マリー・アントワネットの「パンがなければ・・」と国民が考えてくれれば良いが・・米には選択肢はない。
まあ 難儀なこっちゃ
今の若い方は 米穀年度・米穀手帳 などは知らないだろうな! おじさん家(ち)は農家だったので 米穀通帳を使っているのを目撃しただけです・・おじさんの時代は 客が支払いを約束して米屋が標準米(これも死語?)を売る「付け」に近い使用でした。逆におじさん家(ち)が 親戚などに流していたのは「やみ米」に当たるのか?「際(きわ)」・「境(さかい)」を見てない・知らない人々は どうなんだろ?