国民年金について 昭和と言う時代では十分な受給金額であったのではないかと思ったことがある。時代の変化に年金がついて行けなかったまま 今に至ったと思っている。おじさんの中高校生時代はお金の価値が激変したと言うか?超インフレな時代であった。高校新卒の初任給が3万円以下。おじさんの大学での授業料は全期36000円 国立だったので格安だったとも言える。現在の授業料は560000円である。大学の授業料でスライドして考えれば、現在の換算月額は約15万円近くとなる。当時の国民年金金額月額は1万円チョットであったと記憶している。
正直 父の亡くなった後しばらくは 父の友人がぼやくこともなかったが、平成の10年頃から「ボヤキ放し」となった。国民年金を貰いながら 農家として 米・野菜を作って売っていれば暮らせたのが平成の初期であったと思う。おじさんは 父の亡くなる半年ほど前にサラリーマンを辞めて東京から帰って来た。まだバブルの余韻冷めやらず、徐々に冷めていく時代であった。父は病床で携帯電話を使って、不動産屋の仕事をしていた。それから5年後には バブルは完全に冷めて・・10年後には父の仲間であった方々から・・年金で生活できないとの話をよく聞くようになった。
おじいさん会社を辞めて3年後 このままでは国民年金で在れば・・将来苦労すると思ったので 会社を設立して厚生年金を再度掛けられる体制にした。その為 土建会社の社長が所得額と国民健康保険でいくら払っていると半ば自慢げに話された時、社会保険制度の利点と弱点への配慮がなく、税理士の言うまま暮らされているとしばしば思った。要は会社(法人)は利用するものとの考えがない方が多く、普段の帳簿などの記帳でも、現金出納帳ではなく複式簿記など 敷居が高いように感じていたようである。
現在の会社設立は色々な株式会社・合同会社など色々選べると同時に 社会保険についても多様化しているので、いかに経営そして社員の福利厚生など社会保険の研究は欠かせない。おじさんが会社を設立して社会保険制度を利用して老後をどうするかに迷った。最初 仕事を協業しだした義兄は 会社設立は賛成してくれたが、社会保険等加入は反対した。政府管掌健保に被保険者とその家族でのメリットを説明するなどして理解してもらい、年金の計算などについて年金額のシュミレーションを社会保険事務所で確認して貰った。結果 45歳過ぎても遅くないことを納得してもらった。
そのような経過を知っているので 平成10年頃から働き方と社会保険の検討されなかった方が 今の国民年金の受給レベルになってしまったと理解している。これから将来 制度はさらに変わると思うが、現役の方々は 現状に満足せず研究を怠ってはいけない。
いずれの世でも 変われるものが生き残る