来週が青パト当番なので、一緒に乗る人間を決めスケジュール調整をする。事務局に連絡を入れ 青パトの予定を押さえた。超―久々の町内グルグル回りである。昔は補導員をしていたので町内グルグル回りは一月に一回はやっていたのだが、青パトは夜間巡回がないのと町内連合自治会の順繰りなので 一年で二回の地区割り当てで負担は軽い。補導員時代は 巡回に併せて白いポストから本を回収して焼却ゴミに入れていた。
小学生が帰る時間帯とその後を巡回して、不審者がいないか確認あるいはけん制するだけである。青パトの前は 補導員で巡回者として参加したこともあった。補導員だと夜間も引っ張り出されたので、スケジュール調整で仕事が終わらず無理があるなどした。おじさんは 自営業だったので、昼時間だけ働けば良いと言うものでなかったためである。また当時はPTAあるいは親子会の役員もしていたので行事がぶつかることも多かった。何せ 当時と比べれば・・仕事が現役でないのでお気楽だが、ばあ様のアシスト・バイトもあるので全面的に大丈夫ではないが・・これくらいは社会に還元そして奉仕しないといけないと思っている。
青パトは2人で1チームとなるが、基本的には不審者から子供を保護することである。何か解決できないことであれば、手を出さず 警察に一報して対応することになっている。大事なことは子供への声掛けとコミニケーションである。また不審者へ地域の対策を知らせる役目があるので、スピーカーで防犯テーマソングを流しながら、好き勝手に地区内を走り回る。
最近は学童保育もあり、小学校下校時でも集団下校の小学生も少ない。それに子供の親とおじさん達は年齢が離れている。ほぼ親子程離れているので、小学生は孫と同じ世代である。その為か?こういったボランティア行為も順送りと思うことにしている。自治会と連合会・太鼓台など各種団体と色々な組織があるが、おじさんは何時までも そういった組織に顔をを出すことは控えている。何時までも顔を出していれば、次の世代を育てる邪魔になる。
こんな風に考えだしたのは 父の言葉であった。おじさんの父の名前を刻んだ神社の玉垣・礎石などはいくつかある。そんな父から聞いたのは「みんな豊かになっていく時代 自分が生きた証のように、玉垣など人目の付く所に名を刻みたいと思っている。そんな場所に親子で名前を刻むことを良しと思えるか?周囲に配慮することを忘れない方が良い」と聞いた。そんな訳で おじさんの名前を刻んだものもあるが、その他大勢の中に埋もれている。おじさんはお金もないので無理することもないと思っている。しかし 玉垣その他が傷んで補修する場合は 父か子供の名前で再建に寄与することは決めている。おじさんは ただの中継ぎと思い・・過ごすことにしている。
また組織でもいつまでも影響力を保持することはいけないと考えている。例えば 太鼓台などへの顔出しなどは・・昔は役員になり太鼓台の新調(前世代の太鼓台へのリベンジもあり)などの中核で旗を振ったが、引退後はその他大勢で良いと考えている。