昨日 日航でサーバーがDDos攻撃を受けて対応のため便によってはキャンセルされたが、大半は飛ぶことが出来たようである。遅延時間は2時間というのもあり・・飛んで良かった。着いて地獄と言うパターンもあったようである。おじさんも台風で遅延に伴う機材変更ということで、搭乗口変更で3回ほど変わったことがあった。その時に羽田空港内をウロウロ・イライラの連続であった。何とか目的の空港に着いた時には9時過ぎ着が11時着になっていた。空港には車で来ていたので、自宅にはたどり着けた。空港を出た時には 先に出た方がタクシーで移動されているので、タクシーはなく定期運航バスもなかった。
東京でも12時を過ぎれば 終電あるいは途中駅停車となるので 始発までの立ち寄り・仮眠が可能なサウナ・ネット喫茶などがないと厳しい。最悪空港泊まりとなる。それに横になる新聞紙を広げることもかなわないし、床も堅いので・・疲れも取れない。若い頃ならいくらでも遣ったし出来たが・・今となっては相当きつい。
本日はニュース・続報などないので、多くの帰省される方の障害はないと思われる。寒すぎるだけのようである。そう言えばおじさんサラリーマン時代は御用納めの日12月28日迄は働いていた。バブル時代の名残である。
その当時は日本縦横十文字に移動して、客先担当者あるいは支店の担当者と打ち合わせして、色々決めていた。(具体的に書くと会社がばれると思うので・・当然詳しくは書かない。)そんな訳で仙台など東北で御用納めとなり東京着が深夜となり、翌日29日に移動と言うこともよくあった。いつものことで 御用納め数日前から混むからと言い、奥さん・子供は飛行機で高松空港に帰っていた。勿論帰り道も同様である。おじさんは新幹線で東京から岡山まで立って帰ることも多かった。しかし年が経つにつれ 同僚などと分担を決め、正月前後を九州・中国などの西日本を暮れか年始に入れて・・旅費を幾らか浮かせ、上りの電車の帰省経路に変えるなど・・ズルをするようになった。みんなで上手くやりくりして・・みんなで渡れば怖くない・・と言うことである。お陰で 帰省費用の負担と疲れは少なくなった。
金沢などは時間を考えて 昔は飛行機一択であった。金沢は年に6回は行くので冬の雷・雪に何度もあった。飛行機の中で「ご心配いりません」と言われて降りた後、器材故障で帰る便が欠航となるのも数度見たし・・着陸できませんとのことで羽田に変えることもあった。そうなると上越新幹線と特急雷鳥となった。時間も遅れたので、行きは駅弁・名物三昧で・・CMでの日本海の夕日・・そして予約していたホテルに泊まり、翌日の午前にチャチャと仕事して・・名古屋・米原経由などで ビール片手に表裏日本の雪見の旅を楽しんだ。
そんな経験をして来たので サラリーマン 早めに出世して一人出張旅が出来るように・・とおじさんは思っている。偉くなりすぎても・・ということはあるが・・取り敢えずは頑張ってください。
サラリーマン 美味しところがなきゃ
やってられません!
今年は 子供の上二人は帰省しないとのこと。歳も取って来たので 奥さんも正月はゆっくりしたいらしく、もし子供が正月に帰れば・・孫の体調も心配だし、布団干しから料理まで手間なのを 子供に伝えたらしい。また 嫁も泊まると気を使わないといけないし、家の中は寒いので孫は心配だし・・子供には適当にやって!と伝えたようである。
その 万事疲れる方が・・年明け後には 東京ディズニーランドへの旅行を目論んでいるらしい。奥さんは あそこに行くと暑さ寒さをものともしない勇者に変身する。我儘 そしてお気楽なババアである。