クリスマスを前にイチゴを農家の知人に発送して貰ったのだが、子供(孫)の一人が発熱とのことで・・タイムリーな発送となった。今月はイチゴが実のらないと知人はボヤいていた。まだ正月もあるのだが、稼ぎ時に稼げないもどかしさに参っているのだろうか?10月からの気象が影響して甘くないイチゴが11月末から多かったそうで・・出荷するのに気が引けたそうである。取り敢えず現在は味が安定して、これで収穫が増えれば・・例年通りであるが・・温室加温の費用高騰には愚痴っていた。それでも専業農家が最もなりたいのが イチゴ農家である。

 昨日はブロッコリー農家の方から 小さめのブロッコリーをレジ袋一杯に頂いた。話をしていると 少しでも大きくなるのを期待して収穫を伸ばしていたが、寒冷で成長がストップして・・このままだとウイルス性の病害が発生するので、見切り収獲したとのことであった。結果は聞いていないが、出荷のタイミングと市場での集荷で価格などが決まるので、後は 天に祈りつつ 農協からの連絡を受けるだけである。

 色々な仕事でも「少しのこと」の影響が大きい。常に苦労が報われることが少ないのが普通である。おじさん 「一生懸命やったのに!」と言うウンナンの頃の 千秋のギャグが好きであった。そして一生懸命やるのはあたり前 その結果がどう変わるかは「運」だと思って過ごしてきた。上手く行くのも「人に恵まれて 運に恵まれて」と思っていたし、今も変わらない。

 ゴルフの球を打つ前の アドレスがもそうなんだけど、前が下がり左が上がっているから足と体の関係を調節し、上手く調整してクラブを振ったのに・・あちゃ~と言うことがしばしば。芝をかんだとか・・デポ気味だったなどと 自分を慰めるのが常であった。ところが 人生もゴルフと同じと思うが、飛んで行った先の状況が天国と地獄を作り出す。どんなに上手く打っても 転がった先が坂道で池ポチャ・OBではシャレにならない。ダフったおかげで ベストポジッション 結果オーライ。そんな訳で 取り敢えず大まかな目標を定めて 力一杯振ることがよいと思っている。誰も未来は分からないし・・人生も同じようなものだと思っている。

 考えてみると成績などは いい学校に行くとみんなが受験してほとんどが同じレベルに入っており、余程のことが無い限り大差はない。雲泥の差があるのか?と聞かれても「人によりけり 大きくない」と思うことが多かった。ところが知人などで別の高校などに通っている者は、話していると雲泥の差があると思っていた。本当には 差は小さいのだが、集合した結果を見て 過大に評価して自分で決めつけているだけと思うことが大方であった。しかし 時間と繰り返しが 見かけ上の大きな差をつけて来る。今すぐではなくても気付いて、時間と繰り返しをすれば追いつくことが多い。

 また心が大きく差をつける場合も多い。例えばおじさんの通っていた学校では理系と文系に分けた後、成績優秀者からクラス分けしていた。その時トップクラスから落ちるとズルズル下がっていくものと再度上がって元に戻る者がいた。彼らを見ていて・・心による差が大きいと感じた。只のテクニックではない自信が心にあるか否かと言うことである。

 そんな訳で 下手に思い込んで 鼻をへし折られている場合は 人間の差は 少しのことと気付けば何とかなる。そして 大事かつ難しいのは 差を解消するための「大まかな目標・手順」を、自分で定め 突き進むことに尽きるような気がする。 

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おじさん

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