物事を計画していく際に決めておくべき方針がコンセプトである。おじさんの子供に対するコンセプトは 貧乏で贅沢できないのは確実で、残してやれる財産もないので 子供に与えられるものは学問と生きていく知識・知恵・礼儀くらいと思っていた。

 お金などは子供の一生を支える程は与えられないのが普通である。また 親が努力して 健康な体と心を子供に与えることが出来るかと言うのも難問である。健康な体と心を持って貰おうと日々の生活と生活習慣を!特に食事などを管理出来るかかと言うことさえも、子供が半ば自立すれば難しい。交通事故・病気・子供の友人関係など障害になることは 勝手に発生する。親が注意しても究極は無理である。それに大抵 親が先に死ぬのが・・普通である。北九州のマクドナルドでの中学生通り魔事件・・逆縁なので 親は堪らないことだろうと思います。

 おじさん 子供は皆スイミングスクールに通わせた。事故があっても・・泳げれば水死は防げる。しかし落水した時が冬季などであれば・・無理がある。でもそこからは子供の運だと考えている。頑丈な車に乗せようが、交通事故で相手が大型車あるいは打ち所が悪ければダメである。そんなことは子供の運次第と考えることにしている。

 心配してもキリがないのが 日々の生活であり 人生でもある。家庭菜園をやっていても 台風・豪雨があり、寒風の吹く寒い日もあり、ベストを尽くしても自然の前には仕方ないことも多い。はたまた ニャンコに種蒔き直後にその上を歩かれたり、掘り返されたり・・外乱と言うか?多少の不運はあるのが普通だし、まあ 気持ちを切り替えるなどが大事なだけである。「まあ いいか」と「ほったらかし」感覚でもよい。

 親自身そして子供自身が努力しても・・運に恵まれるか否かは分からない。人の多さ・込み具合で、希望が叶わぬ時もある。細かいことなど決めずに 大まかなコンセプトを決めて大らかに生きることが大事だと思う。無理矢理 受験などで狭き門に挑んでも、学校を出た時には 時代が変わっていることも多い。また 向かった先に人が多過ぎ、馬群に沈みかねないことはよくある。タイミングのずれで不運を味わうこともある。

「塞翁が馬」の故事を思い出し

 子供のやりたいと言ったことは出来るだけ叶えるようにしてきたが、後は 子供本人の才能と運であるとは思っている。結婚にしても、育児にしても 万事 普段の自分にタガをはめ過ぎないで生きていければ・・何十年か経てば 結果は見えて来る。

 近日 孫のアップされた写真などを見ると・・良く手を掛けているのが分かる。見ながら頑張っている姿が想像でき・・孫も幸せと思うが・・親ばかだね!としばしば思う。それも 良し!

「あるべきだ」と生きない方が 幸せ

 本日も牛丼を食べに行ったが、店員さんから 込み合って10分程 お待ち頂けますかとの話があり、「じゃあ 後ほど」と言って帰ってきて、特売100円で買っておいたカップヌードルを食べた。小腹を満たして・・小一時間・・再度店に行くと客数は半分以下であった。最初に入った際 鍋がカウンターに多く出ていた。ボーナスが出たのであろうか・・みんな太っ腹・・ワンランク上の昼となって お店の方の手間が増えたのだろうか? そんなこんなで先程は捌ききれなくなったのかも知れない。店員さんがおじさんを覚えていて・・ご迷惑をおかけしましたと来られたが・・おじさんは 何時もの 並にお新香・トン汁。もちろん割引券利用で支払いました。こちらこそ 一人飯ゴチで有難い。

 牛丼から帰ってパソコンに向かうと 好き家鍋メニューでうどんが 煮崩れなしの四角いことで炎上していた。おじさんのような 暇で・・忙しそうなので帰って出直す客在り・・店員の不手際でヤイのヤイの言うのまで・・多様である。まあ炎上 理解は出来るが・・個人的には 言い立てる程でもないと思う。

煮てるうちに 変わるだろうに・・

コスパ・タイパの時代なのか?

投稿者

おじさん

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