N党・立花氏のYouTubeで ネット上で更新を何度もかけると言うか繰り返すのを見ていると、断定口調で繰り返す・・・まさにアジ的である。こんなのに付き合っていると馬鹿にしかならない。おじさんの世代は学生運動があり、そんな影響か? 反面ヒットラーの「我が闘争」がベストセラーとして読まれるなど そんな時を過ごしたので、繰り返しを感じると「大したこと言っていない」「碌なこと言ってない」と最初から聞き流しだす。聞いても無駄な内容が多いことと 思考させるのを邪魔すると思うからである。
断定口調も危ない。おじさんの世代で 革マル派などが「米帝は・・・」「革命」などとやり出すことを知っているので、ワンパターンである。同様の状況を ネットでは勝手に受信者の性癖・嗜好などを勝手に選んで繰り返し表示してくる。こうなると洗脳と同じ効果を発揮する。それ故 おじさんは繰り返すことを感じたら、即 視聴などを止める。碌なことを言っていないと思っている。
ほとんどの話は「千三つ」と言うべきなのか?千に三つしか本当のことはないと思っている。現在も亡くなった兵庫県職員のパソコン云々と発信している。兵庫県自体が個人のプライバシーもあるので公表しないと決めたことを、兵庫県内部の誰かが 情報を流したとすれば、それが公益情報に当たるか否かの判断をしなければならない。そして彼自身が知事を追い込んだ職員の行ったことを 公益情報ではないと断定批判して来た経緯から言えば・・自身の評価基準が二重的と言える。
基本的にはコンプライアンスに関する立花氏自身の二重基準を感じる。我儘勝手な言い分と言うほかない。これらの記事を同じスピードで見たり聞いたりすれば、そんな基本的なことを考えないで流れるのが人間である。人間は多くの場合 思考・熟慮するには時間と全体の構図を考える俯瞰することが必要だが・・それを短時間 攻撃的に利用するのがアジテーターの手法であり、SNSなどでの人々が 匿名性を利用し 勝手に批判・同調することはこれらに加担することに近い。
おじさん世代は 現在で言うコンプライアンスの未発達な時代に育ってきた。そしてすぐ上に全共闘世代がいたので・・ノンポリ学生として接してたので「碌なこと言ってない」と聞き流す。一定期間をおいて全体を評価する癖がついている。
匿名の他人がどう評価しようが・・勝手なことを言ってると流す。2週間も経って 始まりからまとめて俯瞰すれば 発言者が評価すべき人物であるか否かは理解できる。コンプライアンスを半ば無視して強弁する方が多い現在こそ 立ち振る舞いに注意を要する。
正直 SNSは バカ発見機である