おじさんの母 つまりばあ様は 今年で満92歳である。1週間に1回デイサービスに出掛け、歩幅が小さくなり 転ばない様に歩いて・・自分の出来ることをやっている。耳は遠いが ボケてもいないので、自由に時間を過ごしている。しかし 人が来て対応するなどすれば、相手によっては パニックを起こすかもしれないので、目を離すことも出来ない。
最近よく聞くのは デイサービスに行って知り合った方が 年下にも関わらず「変」になってデイサービスに来なくなったり、滞在するのが老健施設介護建屋と成ったりする。そうなる前には 机にものがあれば私のものと主張したり、徘徊するように動き回る方も多い様である。話を聞いてても 年寄りの中でもその変化は急激なようで・・こうして看ていると負担・負荷を軽く掛けていないといけないと分かる。ばあ様に負担を掛ける それも介護と思うようになった。
おじさん 自治会の役員をやっているので、先週ばあ様と同じ年齢の方が亡くなって自治会でお悔やみを用意した。しかし ばあ様には話していない。近所に住むことなく高松市内の老健施設から公立病院入院後に亡くなった。今週初めに聞いて知ったのだが・・悪いことは知らせずそのままである。
少し前に子供の結婚式があったのだが、姉の家でばあ様を預かって!と頼んだが、1日しか持たず 翌日には自宅に帰り、姉が朝来て夕方に帰ったようである。我儘でもキッチリ言うので・・看てる方が仕方ないと割りきり、完全に見守ることは無理と考えることにしている。姉の朝夕の我が家への通う手間までは 考えてないと思われる。歳だから仕方がないと思っている。
最近 若い方が年寄りは邪魔との意見を散見するようになったが、後50年もたてば 今若いのが対象になる。そんなに待たなくても十分か?とも思っいる。ばあさまは たまに手間のかかると思うこともあるが、生まれてこの方 手間を掛けたことが多いので、順番と思っている。寿命が延びた影響もあるが・・考えればおじさん世代が 最も親の寿命が長くなるケースにぶち当たっている。まあ 順番なので仕方ない。
明日はどうなるかは分からないのが人生であり、明日も楽しく過ごそうと思えば、年寄りなど年長者から生き方・病気・痛みなどへの付き合い方・対処法・治療法を学んで、いかに予防できるかなどを研究・理解しておけばよい。また高齢者向けスマホなどのパーソナル機器の使い方・開発などを研究するフィールドテストと思えば良い。そうやっていれば 後進国が将来高齢化した場合の社会の成り立ち・作り方など多方面で対処・協力出来るので 方法を伝えることが出来る。ボケていなければ パーソナル機器をアシスタントに使用出来る可能性も生まれる。極力 自立してもらうことが大事である。
ものは考え方ひとつで 年寄りは面倒・弊害から新時代の技術革新・医療革新などのケーススタディネタになっていく。どっちにしろ 将来訪れる姿が分かれば、どう生きるべきかは自然に見えて来る。
少しのことにも 先達はあらまほしきことなり
・・徒然草の一節 金言と思い過ごしている。