最近 良くやる事であるが 勉強あるいは覚えていたことを思い出したり、再確認したりする。人間と言うものは 過去に覚えたのにずっと続かず どこかで忘れている。全て覚えているようでは 頭も容量オーバーになり・・下手すると生きていく力を奪われると言われる。しかし 覚えて 忘れてしまうことが 無駄なこととも思わない。考えなどをまとめていく際には 突然思い出して 考えを立体化してくれると言うか?視点を考え 再構築する際に役に立つ。
従って 人間大事なことは「覚えて忘れる」あるいは「学んで忘れる」「忘れて思い出す」ことは良い事ではないかと思っている。脳の中で 忘れられても無価値のように存在することを改めて考えだしたときに 瞬間的に回路が繋がるように見えたりして面白い。
おじさん 江戸時代の江戸が好きだったので 昔の地図でも「江戸老舗地図」と呼ばれる食に関する老舗を 現代と昔の地図で対比させたものを楽しんで見ていた。おじさんが現役の頃はまだ営業していた 今はない「笹巻けぬきすし」から 今も繁盛する「駒形どぜう」など老舗を見て・訪ね・食するのが好きであった。また伊能図 江戸府内図と透明ビニール印刷された2000年の地図がセットになっている地図セットも持っている。家族がいないと遠慮なく床に広げ・・変化を確認しながら 時間を過ごすなどしていた。
若い頃は 石油と言うか危険物・爆発物を扱う関係であり、ハンディホンと呼ばれる肩掛け携帯電話が 所属している部に2台程度の時代であった。緊急連絡のために 土曜日には交代で日直させられた。仕事としては午後2時頃までで、後は帰っても良いので、夕方までを山手・中央線内の駅 あるいは地下鉄駅ごとに駅周辺あるいは隣駅近くまで歩いて尋ねていた。
早く帰っても 奥さんと子供は ママ友と自転車で・・地元公園のごとくディズニーランドに出掛けて遊んでいた。早く帰れば・・何故か非難されるので・・おじさんにはタップリと時間があった。そんなことで 土曜日を使って現地調査するのが常・・地理に詳しく老舗・古社など爺さん婆さんが知っていることを 訪ねた上・お参りした上・食べた上で話すため、社外の方からは 田舎者なのに 江戸っ子モドキと思われていたようである。
そんな時間と時代をサラリーマン時代過ごしたのだが・・人間とはいい加減と言うか おじさんが流されるタイプなのだが・・サラリーマンを辞めてからの田舎暮らしゆえ 同好の士に巡り合うことなく、いつしか忘れていた。その時代持っていた地図や東海道の浮世絵の本などは自宅に置けないので、事務所に置いていた。しかし最近は 仕事もしてないので取り出して見たりするが・・良く忘れていることに気付く。
アルツハイマーなど老人性痴呆などにストップをかけたい目的もあり・・再度見たりしているが・・効果のほどは未確認である。まあ 面白いだけで良いとも思え、一人時間を楽しんでいる。